正親町三条実躬(おおぎまちさんじょう さねみ)は、鎌倉時代の公卿。
経歴
大覚寺統に仕え、1285年(弘安8年)正四位下右近衛権中将、1295年(永仁3年)に蔵人頭、1298年(永仁6年)に参議。1303年(嘉元元年)に従二位、同年10月末に中納言になるも、1305年、(嘉元3年)3月に辞任に追い込まれる。1316年(正和5年)に権大納言に任じられたが、翌1317年(正和6年)に出家し、法名を実円と号した。
鎌倉時代の貴重な日記史料『実躬卿記』を著しており、自筆本だけでも70巻余りが現存し、その大半は重要文化財に指定されている。1287年(弘安10年)、幕府が後宇多天皇から熈仁親王への皇位交代を申し入れて来た際、その横暴を「末代作法口惜事也」(末代の作法、口惜しき事なり)と歎じたことがよく知られている。
系譜
参考文献
関連事項