松平 輝充(まつだいら てるみち)は、江戸時代後期の上野高崎藩主。高崎藩大河内松平家9代。
美濃高富藩主本庄道昌の五男。松平輝徳の養子として、高崎藩に入る。
弘化3年(1846年)9月23日、家督を養子の輝聴に譲って隠居した。隠居後は方丘と号した。文久2年(1862年)に41歳で死去した。
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側室
子女
養子