本庄 道貫(ほんじょう みちつら)は、江戸時代後期の大名・伏見奉行・若年寄。美濃国高富藩9代藩主。
略歴
三河吉田藩主・松平信明の四男。高富藩第6代藩主の本庄道揚は大叔父にあたる。母は側室の塚口氏。幼名は陽之助。
先代・道昌の養子となり、文政2年(1819年)に養父の隠居により家督を相続する。農民には植林を命じ、家臣には厳しい倹約を命じた。そのほか、目安箱の設置、年貢の増徴、藩札の発行などの藩政改革を実施したが、領民の抵抗に遭った。幕政においては伏見奉行や奏者番、若年寄を歴任した。1858年(安政5年)、死去。跡を長男の道美が継いだ。
年表
- 寛政9年(1797年)11月5日、江戸に生まれる。
- 文化3年(1806年)11月9日、本庄道昌の養子となる。
- 文化10年(1813年)12月16日、従五位下・近江守に叙任。
- 文政2年(1819年)3月22日、養父道昌が隠居、家督を相続。
- 文政6年(1823年)4月14日、伊勢守と改める。
- 文政10年(1827年)10月12日、伏見奉行に任ぜられる。
- 天保4年(1833年)6月8日、奏者番となる。
- 天保12年(1841年)9月14日、若年寄となる。
- 天保14年(1843年)閏9月11日、安芸守と改める。
- 安政5年(1858年)8月23日、病気につき、御役御免の願いを提出。現職のまま26日に死去。
系譜
父母
正室、継室
子女
脚注
本庄氏 高富藩9代藩主 (1819年 - 1858年) |
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