木島平村(きじまだいらむら)は長野県の北東に位置する村である。
地理
森林セラピー基地に認定されている。
隣接している自治体
歴史
聖徳太子の活躍を支えたとされる秦氏が更級郡桑原にも領地を得て進出し、筑摩郡波多や小県郡和田、そして当地にも庶流を広げたが桑原の元の一族は鎌倉時代に四国に移って長宗我部氏を名乗ったと伝わる。
岩城貞隆が関ヶ原の戦いで失った所領を大阪の陣の功績で信濃中村藩(川中島藩)に得て大名に復活。さらに出羽亀田にも所領を得て藩庁を置き当地を支藩として明治維新まで存続。
沿革
「平成の大合併」について
21世紀初頭に日本中で行われた平成の大合併は木島平村にとっても例外ではなく、当初飯山市・野沢温泉村・木島平村の岳北地域3市村による合併が検討された。
合併に際し、飯山市と野沢温泉村が財政事情や域内の民間スキー場(斑尾高原、戸狩温泉等)への影響を考慮し、木島平村に対して同村が90.2%を出資し第三セクター方式で運営する木島平スキー場の民営化を求めた。この件に関し木島平村は「スキー場は地域振興の柱」とし、将来的に民営化を目指すものの合併時は第3セクター方式で存続と反発し研究会等でも議論は平行線を辿った。
これに加え、村民に対し行ったアンケート(村民の約9割に当たる4,222人が回答)の結果、合併反対が約6割近くに上った事から、柳沢万寿雄村長(当時)が2004年3月11日の村議会において村単独での生き残りを決議し、3月31日付で合併問題研究会から離脱。会は解散となった。
2012年7月14日、15日の2日間にわたって第一回全国村長サミットが木島平村と財団法人自治総合センターの主催で行われた[3][4]。
人口
|
木島平村と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
木島平村の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 木島平村 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
木島平村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
6,470人
|
|
1975年(昭和50年)
|
6,180人
|
|
1980年(昭和55年)
|
6,077人
|
|
1985年(昭和60年)
|
5,974人
|
|
1990年(平成2年)
|
5,887人
|
|
1995年(平成7年)
|
5,850人
|
|
2000年(平成12年)
|
5,513人
|
|
2005年(平成17年)
|
5,312人
|
|
2010年(平成22年)
|
4,939人
|
|
2015年(平成27年)
|
4,658人
|
|
2020年(令和2年)
|
4,375人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
行政
紋章
議会
長野県議会(中野市下高井郡選挙区)
- 定数:2人
- 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和5年)4月29日
- 丸山栄一(自由民主党)、小林東一郎(無所属)
衆議院
経済
産業
姉妹都市・提携都市
国内
海外
[1]
地域
健康
教育
交通
鉄道
鉄道路線は、村内を通過していない。鉄道を利用する際の最寄り駅は、JR東日本北陸新幹線および飯山線の飯山駅。
道路
高速道路
村内を通過していない。
一般国道
県道(主要地方道)
路線バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
木島平村の村内には3か所の温泉地が存在する。
出身有名人
関連項目
脚注
参考文献
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
木島平村に関連するカテゴリがあります。
- 行政
- 観光