木下 重範(きのした しげのり、1906年(明治39年)1月3日[1] - 1977年(昭和52年)8月13日[2])は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
大分県[2]西国東郡[3]岬村(のち香々地町、現豊後高田市)で生まれる[4][注釈 1]。1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した[2][3]。
弁護士を開業し[2]、日本弁護士連合会理事、同代議員、福岡県弁護士会小倉部会長、小倉市信用組合監事などを務め[2]、日本水産、朝日新聞西部本社、三菱化成工業などその他多くの企業の顧問弁護士を務めた[2][3]。
1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で福岡県第4区から無所属で出馬して当選し[3][5]、同友会に所属し衆議院議員に1期在任した[2]。
国政選挙歴
脚注
注釈
- ^ 『北九州名士録 : 五市合併記念』88頁では出身地を「福岡県」と記載。
出典
- ^ 新九州新聞社事業部 編『北九州名士録 : 五市合併記念』新九州新聞社、1962年、88頁。NDLJP:2986533。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』204頁。
- ^ a b c d 『ふるさと人物記』408頁。
- ^ 『国会総覧 昭和27,8年(第15回国会)』国政審議調査会、1953年、13頁。NDLJP:3044819。
- ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』351頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』352頁。
参考文献
- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 『国会総覧 昭和27,8年(第15回国会)』国政審議調査会、1953年。
- 新九州新聞社事業部 編『北九州名士録 : 五市合併記念』新九州新聞社、1962年。NDLJP:2986533。