成田山 横浜別院 延命院(なりたさん よこはまべついん えんめいいん)は、神奈川県横浜市西区宮崎町にある真言宗智山派の寺院。成田山新勝寺(千葉県成田市)の横浜別院で、通称は野毛山不動尊、横浜成田山。
歴史
成田山横浜別院は、1870年(明治3年)、高島易断で知られる高島嘉右衛門の協力により、大本山成田山新勝寺の横浜別院として建立された。新勝寺より分霊を勧請し、現在の神奈川県横浜市南区西中町の普門院[1]境内に遥拝所を設立したことに始まる。開港した横浜への移住者の中には成田不動尊を信仰する者が多く、成田山新勝寺への請願を受けてのことである。
1876年(明治9年)、現在地に移り、成田山教会所と改める。その後、1893年(明治26年)、成田山横浜別院延命院となる。寺号の延命院は、かつて七代目市川團十郎が天保の改革の際、江戸払いを言い渡され、しばらく居住した新勝寺境内にあった延命院のゆかりある寺号を移したものである。
本尊不動明王は、もとは徳川家の秘蔵仏であったが、元禄年間に徳川家より成田山へ累代祈願を懇願された際に賜ったもので聖宝(理源大師)の作と伝わる[2]。本堂内で拝観できる。この境内地は、高島嘉右衛門及び新栄講が寄進したもので、世界平和、万民豊楽を祈願している。
2013年(平成25年)11月より、新本堂の建築のため水行堂が仮本堂となっていたが、2014年(平成26年)10月6日、台風18号による土砂崩れで一部が倒壊し[3]、僧(25歳)が生き埋めになり死亡した[注 1]。2015年(平成27年)新本堂が完成し、11月25日に入仏式法要が営まれた[4]。
2020年(令和2年)、開創150年を迎えた。
伽藍
所在地・アクセス
神奈川県横浜市西区宮崎町30
拝観料
無料
脚注
注釈
- ^ 土砂崩れが起きた成田山横浜別院から7日に見つかり救出され、意識不明だった男性について、神奈川県警は2014年10月7日、死亡を確認したと明らかにした。県警によると、男性は福島県いわき市出身で、同院の僧。2014年4月から同院に来ていたという。土砂崩れは6日午前、同院の斜面で発生し、仮本堂が倒壊。中にいた別の男性僧2人は自力で脱出したが、生き埋め死した僧は逃げ遅れた。
出典
出典
関連項目
外部リンク