慶光院 利敬(けいこういん よしゆき)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の神職。伊勢神宮少宮司。従三位。
生涯
1875年(明治8年)、二条斉敬の子として生まれる。1902年(明治35年)に慶光院盈子の養子となり、1906年(明治39年)に家督を継承した。
1906年4月4日、伊勢神宮禰宜に任じられ、高等官八等(奏任官)に叙される。同日年俸として420円を下賜された。1912年(明治45年)5月31日に高等官七等に陞叙した。以後、1915年(大正4年)12月24日には高等官六等、1918年(大正7年)12月26日には高等官五等、1922年(大正11年)3月8日には高等官四等、1926年(大正15年)5月13日には高等官三等、と順調に陞叙していった。
神宮禰宜を務める傍ら、神宮司庁会計課長、官房主事兼庶務課長を務める。1934年(昭和9年)6月22日には臨時神宮施設調査会の幹事、1936年(昭和11年)9月3日には神宮関係施設調査会の幹事に、それぞれ任じられる。
1937年(昭和12年)8月28日、神宮少宮司に任じられ、高等官二等(勅任官)に叙された[注釈 1]。翌1938年(昭和13年)2月19日に63歳で薨去した[注釈 2]。
栄典
- 位階
- 勲等・勲章
系譜
- 妻:慶光院増子(1885 - 1913) - 東園基愛の娘
- 長女:上野敏子(1904 - ?) - 上野正雄の後妻
- 次女:大久保治子(1905 - ?) - 大久保利正の妻
- 長男:慶光院利彰(1913 - ?)
- 妾:清水ウタ
脚注
注釈
出典
参考文献
- 書籍
- 官報
- 『官報』 第6826号、1906年4月5日。
- 『官報』 第6858号、1906年5月12日。
- 『官報』 第8028号、1910年3月31日。
- 『官報』 第8684号、1912年6月1日。
- 『官報』 第1021号、1915年12月25日。
- 『官報』 第1058号、1916年2月14日。
- 『官報』 第1626号、1918年1月7日。
- 『官報』 第1921号、1918年12月27日。
- 『官報』 第2046号、1919年5月31日。
- 『官報』 第2878号、1922年3月9日。
- 『官報』 第3608号、1924年9月1日。
- 『官報』 第3800号、1925年4月25日。
- 『官報』 第4115号、1926年5月14日。
- 『官報』 第615号、1929年1月19日。
- 『官報』 第981号、1930年4月10日。
- 『官報』 第1141号、1930年10月16日。
- 『官報』 第2242号、1934年6月23日。
- 『官報』 第2904号、1936年9月4日。
- 『官報』 第3198号、1937年8月30日。
- 『官報』 第3258号、1937年11月10日。
- 『官報』 第3342号、1938年2月25日。
- 『官報』 第3344号、1938年2月28日。
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近代以降 | |
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- 1877年、大宮司・少宮司が廃止され、1900年に復活するまで、少宮司の代わりに権宮司が置かれた。「権」は権宮司である。
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