張 讜(ちょう とう、生年不詳 - 474年)は、中国の南北朝時代の官僚・軍人。字は処言。本貫は清河郡東武城県。
経歴
南燕の尚書左僕射の張華の子として生まれた。宋の孝武帝に仕えて、給事中・泰山郡太守を経て、青冀二州輔国府長史となり、魏郡太守を兼ねた。東安東莞二郡太守となり、彭城の東北の団城に拠った。明帝が即位すると、薛安都らに同調して劉子勛を支持した。後に明帝に降って、輔国将軍の号を受けた。泰始3年(467年)、冠軍将軍・東徐州刺史に任じられた。
北魏の皇興2年(468年)、尉元を通じて北魏に帰順した。尉元は張讜をそのまま冠軍将軍・東徐州刺史とするよう上表し、献文帝は中書侍郎の高閭を派遣して、張讜を刺史に任じた。後に張讜は平城に入り、薛安都や畢衆敬に次ぐ礼遇を受けた。勲功により平陸侯の爵位を受け、平遠将軍の号を加えられた。
延興4年(474年)、死去した。平南将軍・青州刺史の位を追贈された。諡は康侯といった。
子女
- 張敬伯(昌安侯、楽陵郡太守)
- 張敬叔(四男、平陸侯、武邑郡太守)
伝記資料
- 『魏書』巻61 列伝第49
- 『北史』巻45 列伝第33