献文帝(けんぶんてい)は、北朝北魏の第5代皇帝。
生涯
456年に文成帝により立太子され、465年に即位した。治世初期は幼少であったため、丞相の乙渾が実質的に統治していたが、嫡母の馮太后(文成文明皇后)が乙渾を殺害して称制を行った。
469年に長男の拓跋宏(孝文帝)を立太子し、親政を開始する。三等九品の制を定め国内の統治を整備し、次の孝文帝の盛期の礎を築いた。
471年には譲位し、太上皇帝を自称した。476年に馮太后は、献文帝を毒殺し、北魏の政権を完全に掌握した。
宗室
- 『魏書』巻1~巻22、『北史』巻5・巻14を元に作成。
后妃
- 夫人李氏(皇后の位を追贈された)
- 昭儀封氏、貴人韓氏、貴人潘氏
- 椒房孟氏、椒房高氏
- 嬪張氏、嬪侯骨氏、嬪成氏
男子
- 孝文帝 拓跋宏 - 母は李夫人
- 咸陽王 拓跋禧(永寿) - 母は封昭儀
- 趙郡王 拓跋幹(思直) - 母は韓貴人
- 広陵王 拓跋羽(叔翻) - 母は孟椒房
- 高陽王 拓跋雍(思穆) - 母は韓貴人
- 北海王 拓跋詳(季豫) - 母は高椒房
- 彭城王 拓跋勰(彦和) - 母は潘貴人
女子