広岡 信五郎 (ひろおか しんごろう、1841年(天保12年) - 1904年(明治37年))は、日本の実業家。明治・大正期の実業家・広岡浅子の夫。
来歴・人物
大坂の豪商・加島屋久右衛門家の8代目当主である広岡久右衛門正饒(まさあつ)の次男として生まれ、隣接する分家・加島屋五兵衛家の3代目当主となる。
明治維新後は、加島屋本家の9代目当主である弟・広岡久右衛門正秋、妻・広岡浅子とともに加島屋の立て直しにあたり、大阪株式取引所(現・大阪取引所)肝煎(現在の取締役)、日本綿花(現・双日)創立発起人、尼崎紡績(現・ユニチカ)社長など数々の要職を務めた。
西本願寺派の代表格信徒家である家系が縁で、船場に創立されたばかりの相愛女学校で参与に就任した[1]。
登場する作品
備考
関連する人物
脚注
外部リンク