平野 達男(ひらの たつお、1954年〈昭和29年〉5月2日[1] - )は、日本の政治家。
復興大臣(初代)・東日本大震災総括担当大臣(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、内閣府特命担当大臣(防災)兼東日本大震災復興対策担当大臣(菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(国家戦略等担当)(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、参議院農林水産委員長、同予算委員長、参議院議員(3期)、自由民主党農林水産災害対策委員会委員長などを歴任[1][7][8]。
来歴
岩手県北上市生まれ[9]。岩手県立水沢高等学校理数科、東京大学農学部農業工学科卒業。1977年農林省に入省。なお平野が入省した翌年、農林省は農林水産省に改編された。農水省では本省での勤務の他、直轄土地改良事務所での勤務も経験し、技官を務めた。また出生地である岩手県への出向も経験している。在職中、アイオワ州立大学大学院に留学し、修士号を取得。2001年に農水省を退官。
2001年、第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で岩手県選挙区から出馬し、初当選。2003年の民由合併により、民主党に入党。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で民主党は議席を「177」から「113」に減らし、9月12日、党代表の岡田克也は引責辞任を表明[10]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[11][12]。
2007年の第21回参議院議員通常選挙では同党公認で再選。
2010年、簗瀬進参議院予算委員長が第22回参議院議員通常選挙で落選したため、後任の参議院予算委員長に就任した。同年9月、菅直人第1次改造内閣で内閣府副大臣(国家戦略、地域主権、地域活性化、「新しい公共」、規制改革等の担当[13])に任命される(参議院予算委員長の後任は前田武志)。2011年1月発足の菅直人第2次改造内閣においても再任された。
同年3月11日に発生した東日本大震災を受け、自身も被災した岩手県選出の国会議員であり、かつ内閣府副大臣の立場から震災対応にあたる。同年7月、「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣であった内閣府特命担当大臣(防災)の松本龍が、7月3日に被災地を訪れた際宮城県知事村井嘉浩、岩手県知事達増拓也らに対して不適切な発言を行い、辞任した(松本本人は「体調不良」を理由に辞意を表明)。後任には内閣官房副長官の仙谷由人や、被災地である宮城県選出の安住淳民主党国会対策委員長らの名前が挙がるも、仙谷、安住らが相次いで固辞したため、内閣府副大臣の平野が昇格する形で、松本の後任に任命された[14]。震災発生以降、宮中では節電に取り組んでおり、皇居宮殿の使用を極力減らす方針を取っていた[15] ため、平野の認証式は皇居宮殿ではなく御所で行われた[16][17]。なお平野の後任の内閣府副大臣には、山口壯が任命された。
野田内閣、野田第1次改造内閣においても防災相に再任[18]。
2012年2月10日、復興庁の設置に伴い、初代復興大臣に任命される。復興相就任に伴い防災相を退任。2月14日より「東日本大震災総括担当大臣」を兼務[19] し、野田第3次改造内閣まで務める。同年12月の第46回衆議院議員総選挙での民主党大敗を受けて野田佳彦首相は退陣し、平野も復興相を退任した。
民主党下野後も、2013年の第23回参議院議員通常選挙に民主党公認で出馬する意向を示していたが、同年3月30日、地元・岩手県で開かれた民主党岩手県総支部連合会における会合で、民主党を離党し無所属で参院選に出馬する意向を表明[20]。民主党に離党届を提出したが、民主党は平野の離党届を受理せず除籍(除名)する方針を固め[21][リンク切れ]、4月16日の民主党常任幹事会で平野の除籍が決定。4月23日、参議院の会派「民主党・新緑風会」からも離脱した[22][リンク切れ]。第23回参議院議員通常選挙では、岩手県選挙区には平野を含む過去最多の6人が立候補し、古巣の民主党や自由民主党、小沢一郎が代表を務める生活の党も候補者を擁立したが、民主党の一部の地方議員からも支援を受けた平野が他の5候補を破り、3選[23]。同年7月24日、参議院会派「新党改革」に入会。平野の入会に伴い、同会派は名称を「新党改革・無所属の会」に改めた[24][リンク切れ]。
2015年4月、同年に行われる岩手県知事選挙への立候補を表明。しかし同年8月、「県政ではなく国の安全保障法制の在り方が争点になり、政党間の争いになった。私の本意と大きくかけ離れた状況だ」と述べ出馬を撤回、断念した[25]。
2016年7月13日、自由民主党に入党届を提出した[26]。同年7月23日、自由民主党岩手県連常任総務会は、平野の入党を了承。これにより同党の参議院勢力は過半数の122議席に達した[27]。入党後、二階派に入会した。
2019年7月の第25回参議院議員通常選挙では自由民主党公認で出馬したが、野党統一候補で無所属新人の横澤高徳に敗れ、落選した[28]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では岩手県第3区から自由民主党公認で出馬した藤原崇の選対本部長を務め、藤原を小選挙区初当選に導いた[29]。
2022年7月の第26回参議院議員通常選挙においても、岩手県選挙区から自由民主党公認で出馬した広瀬めぐみの選対本部長を務め、広瀬を初当選に導いた[30][31]。
2024年12月21日に自民党岩手県連は次期参院選の岩手県選挙区の候補者として平野を擁立すると発表した[32]。
政策・主張
消費税増税
- 2014年4月に予定されていた消費税の8%への引き上げについて「予定通りに引き上げるべき」と回答している[33]。
- 2019年10月に予定されている消費税の10%への引き上げについて「法律に従い、引き上げるべきだ」と回答している[34]。
- 消費税の10%への引き上げについて、内閣府副大臣時代に「財政を発散させないとの姿勢を、市場だけでなく、世界に向けて発信しなければ危ない。これくらいのことを決められないと、われわれの政治の意思が問われかねないとの危機感を持つ」と述べている[35]。
その他
人物
所属団体・委員会・議員連盟
支援団体
他多数
年譜
選挙歴
脚注
外部リンク
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