山田直輝

山田 直輝
名前
愛称 ナオキ、ヤーマン
カタカナ ヤマダ ナオキ
ラテン文字 YAMADA Naoki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1990-07-04) 1990年7月4日(34歳)
出身地 埼玉県浦和市
(現:さいたま市浦和区
身長 168cm
体重 66kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 湘南ベルマーレ
ポジション MF / FW
背番号 10
利き足 右足
ユース
2003-2005 日本の旗 浦和レッズJrユース
2006-2008 日本の旗 浦和レッズユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2019 日本の旗 浦和レッズ 54 (2)
2015-2017 日本の旗 湘南ベルマーレ (loan) 67 (8)
2019 日本の旗 湘南ベルマーレ (loan) 9 (1)
2020- 日本の旗 湘南ベルマーレ 95 (7)
通算 225 (18)
代表歴2
2005-2007  日本U-17 8 (1)
2009  日本U-20
2009-2010 日本の旗 日本 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月5日現在。
2. 2010年1月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山田 直輝(やまだ なおき、1990年7月4日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身のプロサッカー選手Jリーグ湘南ベルマーレ所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード。元日本代表

来歴

プロ入り前

広島県生まれ埼玉県育ち。小学生の頃は北浦和サッカースポーツ少年団に在籍。小学校6年時に選抜チームであるFC浦和で全日本少年サッカー大会で優勝した。中高生年代では、ジュニアユース、ユースと浦和レッズのアカデミーに所属。ジュニアユース時の2005年には、高円宮杯U-15で優勝。

2006年から浦和レッズのサテライトボランチとしてたびたび出場(2007年のサテライトでは6試合出場、1得点。2008年のサテライトでは5試合出場)。また、2007年8月に行なわれたU-17ワールドカップでは、U-17日本代表に選出。10番を背負い[注 1]、3試合に出場した。

浦和レッズ

2008年4月に、2種登録選手としてトップチーム登録[2]。4月26日、対京都サンガF.C.戦で後半35分から途中出場。17歳9ヶ月22日でJリーグデビューを果たした。2008年の公式戦出場は、6月8日のナビスコカップ名古屋グランパスエイト戦とあわせ、2試合。ユースでも、10月13日、高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝の対名古屋グランパスU-18戦にてハットトリックを達成し優勝に貢献(試合は9-1で浦和が勝利)。自身も同大会で8得点を挙げ、得点王となった。

2009年、高橋峻希濱田水輝永田拓也とともにトップ昇格[3]。3月14日、J1第2節FC東京戦に後半33分から途中出場し、ポンテの得点をアシスト。これがプロ入り初アシストである[注 2]。4月29日、対清水エスパルス戦で後半29分、プロ初得点をあげた。また、4月にはチームメイトである原口元気とともに、U-20代表候補に選ばれたが、右太腿裏を痛めたため代表合宿への参加を辞退した(原口は参加)[4]

2009年5月21日、トップ昇格1年目にして日本代表に初選出され、5月27日、キリンカップチリ戦の前半39分から途中出場。後半47分には、この試合4点目となる、本田圭佑のA代表初得点をアシスト。その後、右臀部を痛めて代表から離脱、FIFAワールドカップ最終予選には帯同しなかった。その後、中学時代からの腰椎分離症の影響で戦線離脱。日韓オールスター戦のJOMO CUPでJリーグ選抜に選出されるも、これを辞退した。その後は度重なる故障に悩まされ、復帰しては再発して欠場するという流れを繰り返した。そして、チームにとっても中盤の要として活躍していた山田の欠場は大きく影響し、欠場する試合が多くなっていくのに比例してチームも調子を落として行った。12月19日に行われたU-20代表の国際親善試合、対韓国戦では、途中出場ながら2得点をあげてチームを逆転へと導き、同年代ではAFC U-19選手権2008の準々決勝で韓国に3-0で敗れて以来の雪辱を果たした。

2010年、若手選手を中心に構成された日本代表に選出され、1月6日に行われたアジアカップ最終予選イエメン戦にスタメン出場したが、前半17分に相手からの悪質なタックルで負傷退場した。帰国後に精密検査を受診し、右腓骨骨折で全治3ヶ月と診断された[5]。以降は長いリハビリ生活を送っていたが、6月上旬より全体練習に合流した後、6月9日に行われたナビスコカップ予選リーグ第7節横浜F・マリノス戦で後半33分から途中出場し、約5ヶ月ぶりとなる公式戦出場を果たし、ワールドカップ中断後からはリーグ戦に3試合出場したものの、8月6日のトレーニング中に右すねを強打、当初は強度の打撲と診断されていたが、再検査の結果、再び右腓骨を骨折していることが判明、全治3ヶ月と診断され今シーズン中の復帰は厳しいと思われたが、再度の長いリハビリを経て12月初旬にトレーニングに完全復帰。12月25日に行われた天皇杯準々決勝ガンバ大阪戦で約5ヶ月ぶりに公式戦ベンチ入りを果たしたが、出場はなく浦和も敗れ、シーズンを終えた。

2011年、阿部勇樹の移籍によって欠番となった22番に背番号を変更、シーズン当初は前年の故障の影響もありシーズン開幕からベンチ入りすらままらならない状態が続き、6月5日のナビスコカップ1回戦第1節モンテディオ山形戦でようやくシーズン初の公式戦出場。以降もゼリコ・ペトロビッチ監督に不慣れな右サイドでのプレーを命じられたり、戦術上の問題で得意とするピッチを縦横無尽に動く働きを封じられ、本領を発揮することが出来ずにいた。しかし、監督が堀孝史に交代後は柏木陽介と共にダブルトップ下のレギュラーに固定され、チームのJ1残留に貢献した。

2012年、阿部の復帰に伴い、再び背番号を34番に変更。3月20日のナビスコカップ対ベガルタ仙台戦において試合中接触し[注 3]、左膝前十字靭帯を損傷。全治約6ヶ月と診断された[7]。12月に高校時代から交際していたさいたま市在住の一般女性と入籍した[8][9]

湘南ベルマーレ

2015年、湘南ベルマーレへ1年間の期限付き移籍[10]。5月20日、ナビスコカップ第5節の松本山雅FCで移籍後初得点。2016年9月22日、天皇杯の3回戦ではプロ初となる1試合2得点を決めて怪我から復活をアピールした。2016年11月3日、2ndステージ第17節の名古屋グランパスエイト戦では先発出場し、2得点をあげる活躍で意地を見せた(名古屋はこの敗戦によりクラブ史上初のJ2降格が決定)。シーズン終了後、期限付き移籍を1年契約を延長した。

2017年8月5日、第26節の松本山雅FC戦では逆転ゴールを決めて勝利に貢献した。8月26日、第30節のザスパクサツ群馬戦では全得点に絡む活躍で勝利に貢献した[11]。9月30日、第35節のツエーゲン金沢戦では開始11秒で得点を決めて勝利に貢献した[12]

浦和レッズ復帰

2017年12月7日、浦和レッズへ4年ぶりに復帰することが発表された[13][14][15]

2018年4月28日、第11節の湘南ベルマーレ戦で復帰後初のJ1リーグ初先発を果たした[16]

湘南ベルマーレ復帰

2019年7月24日、2年ぶりに湘南ベルマーレへ期限付き移籍することが発表された[17]。12月31日、2020年シーズンより完全移籍することが発表された[18]

人物・エピソード

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 浦和 34 J1 1 0 1 0 0 0 2 0
2009 20 1 5 2 1 0 26 3
2010 3 0 1 0 0 0 4 0
2011 22 18 1 6 0 4 0 26 1
2012 34 2 0 1 0 0 0 3 0
2013 4 0 0 0 1 0 5 0
2014 6 2 0 2 0 1 0 7 0
2015 湘南 8 17 1 4 1 2 1 23 3
2016 11 2 2 0 3 2 16 4
2017 J2 39 5 - 1 0 40 5
2018 浦和 18 J1 3 0 4 0 1 1 8 1
2019 1 0 - 1 0 2 0
湘南 10 9 1 - - 9 1
2020 16 1 2 1 - 18 2
2021 37 5 1 0 1 0 39 5
2022 21 0 5 2 1 0 27 2
2023 21 1 5 3 1 0 27 4
2024
通算 日本 J1 186 13 39 9 17 4 242 26
日本 J2 39 5 - 1 0 40 5
総通算 225 18 39 9 18 4 282 31
  • 2008年は、ユース所属
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2013 浦和 34 0 0
2019 18 0 0
通算 AFC 0 0
その他の国際公式戦
出場歴

タイトル

クラブ

FC浦和
浦和レッズジュニアユース
浦和レッズユース
湘南ベルマーレ
浦和レッズ

代表

個人

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2009年 - 2010年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2009 1 0
2010 1 0
通算 2 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2009年5月27日 日本の旗 大阪 長居陸上競技場 チリの旗 チリ ○4-0 岡田武史 キリンチャレンジカップ2009
2. 2010年1月5日 イエメンの旗 サナア アル・サウラ・スポーツ・シティ・スタジアム イエメンの旗 イエメン ○3-2 AFCアジアカップ2011予選

脚注

注釈
  1. ^ 城福浩監督は「(特別な番号として扱われがちな)10番を与えることで、勘違いしてしまう選手や親もいる」ため、山田に10番を与えたとコメントしている[1]上述の通り、山田の父は元サッカー選手。
  2. ^ ただし、Jリーグ公式記録での「アシスト」は集計されていない。
  3. ^ 主審の岡部拓人はこのプレーにファールを取らなかったが、松崎康弘審判委員長はこの判断を「正解」とした。また、山田に対しては、無理やり突っ込む危険なプレーで自らを危険にさらしていると危惧を述べている[6]
出典
  1. ^ Sports Graphic Number 791号』文藝春秋、2011年、43頁。ASIN B0060M67A4 
  2. ^ レッズユースの高橋&山田をトップ登録[リンク切れ]
  3. ^ レッズユース4選手、加入内定について
  4. ^ U-20日本代表候補 トレーニングキャンプ選手入れ替え
  5. ^ 山田直輝、帰国後の精密検査結果|浦和レッドダイヤモンズ公式サイト
  6. ^ ▼No Referee,No Football 第31回「ジャッジQ&A」 ゲキサカ 2012.03.26
  7. ^ 山田直輝について 2012.03.30
  8. ^ 山田直輝 入籍のお知らせ 2012.12.24
  9. ^ 山田直、高校時代から交際の同い年女性と結婚…浦和 2012.12.25
  10. ^ 浦和レッズ 山田直輝選手 移籍加入のお知らせ 2014.12.25
  11. ^ 湘南FW山田直輝が全2得点に絡む活躍で勝利に導く 日刊スポーツ(2017年8月26日)
  12. ^ 湘南山田直輝1G1A「全ての攻撃に関わりたい」 日刊スポーツ(2017年9月30日)
  13. ^ 山田直輝 湘南ベルマーレへ期限付き移籍から復帰のお知らせ 浦和レッズ 2017年12月7日
  14. ^ 山田直輝選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ 湘南ベルマーレ 2017年12月7日
  15. ^ 湘南MF山田直輝が浦和復帰「もう一度チャレンジ」 日刊スポーツ(2017年12月7日)
  16. ^ 復帰後J1初先発の浦和MF山田直輝、「あってはならないこと」とは… ゲキサカ(2018年4月29日)
  17. ^ 山田直輝選手 浦和レッズより期限付き移籍のお知らせ 湘南ベルマーレ 2019年7月24日
  18. ^ 山田直輝選手 浦和レッズより完全移籍加入のお知らせ 湘南ベルマーレ 2019年12月31日
  19. ^ 浦和、試練を超えろ黄金世代——08年高円宮杯組の現在地と未来 サッカーキング (2012年8月20日) 2018年12月19日閲覧。
  20. ^ スカイスポーツ(英語)

関連項目

外部リンク