大久保択生
大久保 択生(おおくぼ たくお、1989年9月18日 - )は、東京都江東区出身[2]のプロサッカー選手。Jリーグ・カターレ富山所属。ポジジョンはゴールキーパー(GK)。 来歴プロ入り前5歳の時に兄の影響でサッカーを始め[1]、小学4年生の時にGKへ転向[3]。 1997年度の高校サッカー選手権で準優勝した帝京高校に憧れ[3]、同中学校・高校へ進学。高校3年次には自身の好セーブで[3]総体ベスト8入り。それまで代表歴は無く無名だったが[3]同年夏にはU-18日本代表に初選出された[4]。同年冬の選手権では2回戦で広島皆実に0-2で敗れた。 横浜FC複数クラブからオファーを受けた中、三浦知良とGKコーチを務めていた田北雄気を慕って[3][5]2008年に横浜FCへ加入。同年は小山健二の前に出場機会を得られなかったが、2009年には小山・岩丸史也との正GK争いを制し33試合に出場した。2010年には樋口靖洋に代わり岸野靖之(前鳥栖監督)が監督に就任。引退した小山に代わって背番号を「1」に変更して臨んだものの、岸野は鳥栖時代の教え子シュナイダー潤之介を起用。第6節千葉戦での大敗を機に、第7節からは大久保が先発したが、第13節まで7試合連続失点(この間1勝6敗)を喫し[6]正GKには定着できなかった。同年U-20日本代表にも選出されており、2012年のオリンピック出場を見据えてこの年限りでの退団を決意[7]。 ジェフ千葉2011年、ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍[8]。同年中盤から岡本昌弘に次ぐ第2GKとしてベンチ入りを続け[9]、天皇杯2回戦・デッツォーラ島根戦で移籍後初出場し無失点勝利に貢献。2012年は櫛野亮に第2GKの座を譲るも[10]、2013年はリーグ戦全試合にベンチ入りし臨戦。 V・ファーレン長崎2014年、V・ファーレン長崎へ完全移籍[11][12]。長崎を退団した横浜FC在籍時の先輩である岩丸の背番号「1」を受け継ぎ、前年退団した金山隼樹に代わって開幕から出場を続けた。同年中盤は中村隼とのポジション争いで一時劣勢、終盤には途中加入した植草裕樹の控えとなった[1]。2015年、植草から正GKを奪取。2016年には自身初となるリーグ戦全試合出場を達成。 FC東京2017年、地元クラブの[2]FC東京へ完全移籍[13]。8月13日、第22節のヴィッセル神戸戦でJ1初出場を果たし、ハーフナー・マイクのヘディングシュートを防ぐなど好セーブを連発した。しかし林彰洋から正GKを奪取するには至らず、この年の出場は7試合に留まった。 2018年も引き続き第2GKとして主にカップ戦で活躍。リーグ戦では林の不調もあって出場した3試合に留まった。 サガン鳥栖2019年、サガン鳥栖に完全移籍。加入序盤は移籍した権田修一の穴を埋める活躍を見せたが、シーズン途中に高丘陽平にポジションを奪われた。 清水エスパルス2019年8月、清水エスパルスに完全移籍[14]。 清水加入後は西部洋平とポジションを争いながら、11試合に出場した。 2020シーズンは怪我もあって出遅れ、開幕戦はメンバー外。復帰後も梅田透吾の台頭もあって、しばらく控えが続いた。しかしルヴァンカップ第3節の鹿島アントラーズ戦で同年初出場を果たすと、その後は梅田とポジションを争いながら15試合に出場した。 2021シーズンより、背番号を39から1に変更。同年は、日本代表権田修一や永井堅梧が加入したこともあって第3GKに降格し、シーズン通して公式戦の出場は無かった。 2022年2月23日、ルヴァンカップ第1節名古屋グランパス戦で2年ぶりに先発に抜擢。同試合は、自身のビッグセーブもあって、前回王者相手に無失点で抑えるなどと活躍を果たした。 J2に降格した2023シーズンも、引き続き権田が正GKを務めたために、42試合通じてリーグ戦の出場は無かったが、J1昇格プレーオフでは、権田のコンディション不良に伴い、準決勝モンテディオ山形戦で先発に抜擢されると、試合序盤から山形の猛攻を受ける中で自身のビッグセーブもあって無失点に抑える活躍を見せ、チームの決勝進出に貢献した[15]。決勝も引き続き先発出場したが、試合終了間際にPKで失点し引き分け、規定により1年でのJ1復帰を逃した。 2023年12月7日、契約満了に伴う退団が発表された[16]。 いわてグルージャ盛岡2024年1月3日、いわてグルージャ盛岡へ加入することが発表された[17]。 カターレ富山2024年12月29日、カターレ富山への期限付き移籍が発表された[18]。 エピソード
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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