多賀 安郎(たが やすろう、1905年(明治38年)3月15日[1] - 2002年(平成14年)5月31日[2])は、昭和期の新聞編集者、実業家、政治家、アマチュアボクシング選手[3]、プロボクサー[3]。衆議院議員。
経歴
岡山県[4]窪屋郡、現在の倉敷市[2]出身。1940年(昭和5年)早稲田大学専門部法律科を卒業した[2][4]。
東京吉井洋行を経営[2]。合同新聞記者となり、大阪時事新報記者、満州新聞大阪支社営業部長、山陽民報主筆を歴任[2][4]。南北アメリカ、アフリカ、インド、中国、満州等の各地を取材して回り、また従軍記者として中国大陸や南方に派遣された[1]。その他、在外同胞帰還促進会理事、日本漁民組合瀬戸内海部長、倉敷体育協会副会長、備中板金加工業組合理事長、遠藤青汁取締役社長[4]、ほか内海高速汽船(のち琴平高速汽船)社長、遠洋漁業協同組合理事長などを務めた[1]。
1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で岡山県全県区に無所属で出馬して落選[5]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で岡山県第2区に国民協同党所属で出馬して当選し[4][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]。この間、国民協同党遊説部長などを務めた[4]。その後、第24回、第25回、第27回総選挙に立候補したがいずれも落選した[7]。
脚注
- ^ a b c 『大衆人事録』第19版、西日本篇、458頁。
- ^ a b c d e f 『現代物故者事典 2000-2002』346頁。
- ^ a b 『昭和の岡山 政治と人と(中)戦後編①』177-179頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』367-368頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1337頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』443頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』305-306頁。
参考文献
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、1957年。
- 『昭和の岡山 政治と人と(中)戦後編①』山陽新聞社、1979年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 2000-2002』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。