壱岐市立盈科小学校(いきしりつ えいかしょうがっこう, Iki City Eika Elementary School)は長崎県壱岐市にある公立小学校。略称は「盈科小」(えいかしょう)、「盈小」(えいしょう)。
概要
- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区武生水[1]小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
- 校名の由来
- 「盈科」という校名は、孟子の語の一節(「源泉混混不舎畫夜盈科而後進放乎四海有本者如是」)から引用され、1875年(明治8年)に長崎県学務課長によって名づけられたと言われている。なお、この孟子の言葉は校歌の「源泉の歌」にも反映されている。また、「科」は「穴」を意味し、「盈」は「満たす」という意味を表す。「盈科」は「穴に水などが満ちること」、「隅々までゆきわたること」を表す。
- 校章
- 校名の由来となっている湧水を図案化し、「盈」の文字を中央に置く。
- 校歌
- タイトルは「源泉の歌」。歌詞は3番まであり、1番は校名の由来にもなった孟子の言葉を反映した歌詞となっている。各番とも「わが健児」で終わる。
- 校区
- 郷ノ浦町武生水(むしょうず)地区(志原地区・柳田地区を除く)。住所表記で郷ノ浦町の後に「本村触」、「庄触」、「東触」、「永田触」、「片原触」、「郷ノ浦」、「坪触」、「田中触」(一部)が続く地区。卒業後は、大半が壱岐市立郷ノ浦中学校へ進学する。
沿革
アクセス
- 最寄りのバス停
- 壱岐交通
- 「郷ノ浦庁舎前」バス停下車後すぐ。
- 郷ノ浦港からは、郷ノ浦「本町」バス停で下車後、反対側のバス停から「芦辺」・「印通寺」・「勝本」行き等のバスに乗車。(「本町」バス停から上り坂を徒歩10~15分)
- 「新道」バス停下車後、上り坂を徒歩5~10分
- 芦辺漁港方面からは「郷ノ浦行き(直行)」のバスに乗車。
- 印通寺港方面からは「郷ノ浦行き」のバスに乗車。
- 壱岐空港方面からは「郷ノ浦行き」のバスに乗車。
- 最寄りの国道・県道
周辺
- 学校・文化施設
- 官公署
- 金融機関・郵便局
- 病院
- 赤木病院
- 壱岐公立病院(現在は閉鎖され、「壱岐市民病院」として志原地区に移転した。)
- その他
脚注
- ^ 読みは「むしょうず」。
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五学区。なお壱岐と対馬は第四中学区に属した。壱岐はもともと旧平戸藩の領地であったため。
- ^ 現 長崎県立壱岐高等学校の位置。
- ^ 進学者が少なく、2年後に廃止。在校生は長崎市の長崎中学校に転学。旧制中学であるが、この学校は長崎県立壱岐高等学校の源流になった学校ではない。1909年(明治42年)に開校する長崎県立中学校猶興館壱岐分校が旧制壱岐中学校・現壱岐高等学校の源流となる。
- ^ 尋常科4年から尋常科6年に延長。
- ^ 高等科が併置される前には、喜応寺跡(現長崎県立壱岐高等学校校地)にあった「長崎県第十七高等小学校」(1886年(明治19年)~1893年(明治26年))や「南部六ヶ村組合立武生水高等小学校」(1893年(明治26年)~1908年(明治41年))といったように高等小学校が別個に存在した。1908年(明治41年)の小学校令改正により、これまでの尋常科4年・高等科4年が尋常科6年・高等科2年に改編された。
- ^ この時、志原村立志原中学校・柳田村立柳田中学校を統合し、「3町村組合立武生水中学校」となった。
- ^ 旧制・長崎県立壱岐中学校とともに長崎県立壱岐高等学校の前身である。
参考文献
- 「郷ノ浦町史」(1998年(平成10年)6月発行、編集・郷ノ浦町史編纂委員会、出版・郷ノ浦町教育委員会)
- 「郷ノ浦町立盈科小学校創立百周誌」(1974年(昭和49年)10月5日発行、郷ノ浦町立盈科小学校創立百周年記念事業協賛会)
- 壱岐の歴史情報 1800年代 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト
関連項目
外部リンク