堤 正義(つつみ まさよし、1874年〈明治7年〉7月24日 - 1943年〈昭和18年〉11月14日[2])は、日本の機械工学者。旧名は賀茂佐久間。
経歴
静岡県出身。海軍省官吏の賀茂水穂の二男として生まれ、大審院部長判事の堤正巳の妻・堤豊の養子となった。第一高等学校を経て、1897年(明治30年)、東京帝国大学工科大学機械科を卒業した。逓信省に入り、船舶司検所司検官補、同司検官、逓信技師、海事官、神戸海務署長、海事局技師、航路標識管理所技師、逓信管理局技師、高等海員審判所審査官、管理局船舶課長などを歴任。その間、1900年(明治33年)にイギリスに留学し、1915年(大正4年)に工学博士の学位を得た。1925年(大正14年)、大阪高等工業学校校長に就任し、1929年(昭和4年)に大阪工業大学 (旧制)に昇格した後も引き続き学長を務めた。1933年(昭和8年)、退官。
栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.329。
- ^ 『官報』第1225号「叙任及辞令」1931年1月31日。
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 賀茂厳雄『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 堤正巳(つつみまさみ)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
- ^ 『人事興信録』10版(昭和9年) 上卷、岡見清致の項
参考文献
- 『人事興信録 第10版』人事興信所、1934年。
- 『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
大阪大学総長(大阪工業大学長:1929年 - 1933年) (大阪高等工業学校長事務取扱・校長:1924年 - 1929年) |
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前身諸学校・大学長 |
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大阪医科大学長 |
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大阪府立高等医学校長 | |
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(旧制専門学校)府立大阪医科大学長 | |
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大阪医科大学長 | |
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| | | | | 大阪大学附属医学専門部長 |
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大阪帝国大学臨時附属医学専門部主事 | |
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大阪帝国大学附属医学専門部長 | |
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大阪大学附属医学専門部長 | |
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