国鉄ワ22000形貨車(こくてつワ2000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)および、その前身である鉄道省等に在籍した有蓋貨車である。
概要
1929年(昭和4年)度には15 t 積みの二軸有蓋車としてワム21000形が製造されていたが、折からの世界恐慌を発端とする不況により輸送量が減少し、小型車の需要が高まった。このため、ワム21000形をベースに車体を小型化した10 t 積み車として1930年にワ22000形が登場した[1]。
ワ22000形は1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)にかけて日本車輌製造本店・支店、汽車製造東京支店、川崎車輛、新潟鐵工所、田中車輛および鉄道省工場で6,386両(ワ22000 - ワ28385)が製造された。鉄道省が製造したものの他に、42両(ワ28386 - ワ28427)が私鉄の買収により編入されるとともに、二車現存車の番号書き換えにより最終番号はワ28436となっている。
製造期間が長期にわたるため、製造時期の形態差により次の3グループに分類される。
- グループ1 : ワ22000 - ワ25002(3,003両)
- グループ2 : ワ25003 - ワ27752(2,750両)
- グループ3 : ワ27753 - ワ28385(633両)
初期車(グループ1)
グループ1は、1930年(昭和5年)度から1936年(昭和11年)度途中までに製造されたグループで、車体はワム21000形の幅をそのままに長さと高さを短くした構造である。
全長は6,230 mm、全幅は2,445 mm、全高は3,330 mm、軸距は3,000 mm、自重は8.1 tとなった。側板は厚さ2.6 mmの鋼板製で、鋲接による組み立てである。妻板の上部には、ワム21000形と同様の構造の鋼板プレス製の通風器が2つ設けられている。屋根は、鉄製の垂木に厚さ20 mmの木製の屋根板を張り、防水布で覆った構造である。
貨物室内には厚さ20 mmの木製の内張りが設けられており、外板との間に空間を設けた二重羽目構造となっている。貨物室には幅1,700 mmの鋼製片引戸が1か所(片側)に設けられている。側引き戸にはX字型の補強がされており、引き戸に内張りはない。貨物室の寸法は、長さ5,300 mm、幅2,300 mm、高さ2,230 mm、床面積12.2 m2、容積24.0 m3である。
台枠には、側梁と端梁には152×76、中梁には250×90断面の溝形鋼を使用した(1932年(昭和7年)製以降は、側梁を150×75溝形鋼に、側板を2.3 mm厚に変更)。組み立ては鋲接によっている。走り装置の軸ばね受けは、軸距が短くなったことからシュー式に戻り、スム1形と同様にばね受けの部分に高さ80 mmの受け座を設けている。最高運転速度は65 km/hで、車軸は10 t または12 t 長軸である。
空気ブレーキは、床下スペースが狭隘となったことから、シリンダと空気溜めが分離したKD形とし、その中でも最小のKD180形が採用された。留置ブレーキは通常の側ブレーキだが、車端一杯に装備されている。自動連結器は柴田式上作用である。
中期車(グループ2)
グループ2は、1936年(昭和11年)末から1938年(昭和13年)にかけて製作されたグループで、台枠構造にト20000形の新機軸を反映したグループである。
台枠は、中梁に200×80、側梁に180×90の溝形鋼を使用し、端梁は8 mm厚鋼板のプレス製となった。組み立てについても、溶接が多用されている。この構造変更により台枠の厚みが50 mm減少したが、台枠下面高さを連結器の関係から同一としたため、床面高さ、全高がその分低くなっている。また、グループ1で設けられていた軸ばねの受け座も廃止された。
車体の側板は、グループ1の重ね鋲接から突合せ溶接に変更され、強度に問題のない部分についても溶接が採用され、板厚も2.3 mmと薄くなった。側引き戸は、裏面が木板の二重羽目構造とされ、従来表側にあった補強も内側に隠され、横2本のリブ状となった。通風量を増すため、妻面上部の通風器の数が3個に増やされるとともに、鋼板溶接品となった。
後期車(グループ3)
グループ3は、1939年(昭和14年)及び1940年(昭和15年)に製作されたグループで、基本構造はグループ2と同一であるが、前年から製造が開始されたワム23000形の構造を反映している。
外観上は、横補強を表側に移設した側引き戸が目立つが、鉄道省工場製の一部にはグループ2と同様の構造のものがある。また、妻面上部の通風器についても、すべてワム23000形と同じ形状のかまぼこ形となった。
改造工事とその後
更新修繕
1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)にかけて更新修繕が実施され、漏損事故の多かった屋根の強化や忍錠の取り付けなどが行われた。
廃車
1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正で実施された貨物列車の速度向上では、軸距が短いことから不適格とされ、1965年(昭和40年)から本格的な廃車が始まった。同改正後は、補助記号「ロ」と黄1号の帯を標記して北海道内に封じ込められた。
1967年(昭和42年)度末の在籍両数は3,476両であったが、1968年(昭和43年)度末時点の在籍両数は272両に激減した。1971年(昭和46年)までに実質的に消滅し、台帳上残った2両も1983年(昭和58年)に除籍され、形式消滅となった。
形式間改造
ト32000形
1945年(昭和20年)に1両が13t 積みの無蓋車ト32000形(ト32000)に改造されている。1950年(昭和25年)に消滅した。
ポ100形
ポ100形は、1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)にかけて、ワ22000形およびトキ900形の改造により製作された、10t 積み陶器車である。130両(ポ100 - ポ229)が国鉄工場で製造された。外観は、ワ22000形と変わらないが、貨物室内に取り外し可能な棚を1段設け、荷崩れ防止用の扉板を荷役扉上部に備えていた。
主に名古屋鉄道管理局管内に常備され、京阪方面への輸送に使用されたが、後継形式のポム200形が登場したのにともない、1968年度に形式消滅となった。
ヒ600形
1954年(昭和29年)から製作されたヒ600形の改造種車となっている。
譲渡
1949年(昭和24年)から1950年(昭和25年)にかけて本形式12両が三岐鉄道に譲渡され、ワ1形(ワ13, ワ17 - ワ24, ワ26, ワ27, ワ37)に編入された。同社では、袋詰めセメントの輸送に使用された。後年救援車化されたワ27を除いて、1965年(昭和40年)12月から1967年(昭和42年)3月にかけて廃車解体された。最後に残ったワ27の廃車は、1986年(昭和61年)2月であった。番号の新旧対照は次のとおりである。ワ23, ワ24, ワ26, ワ27については、国鉄時代の番号不明。
- ワ24607 → ワ13
- ワ26267 → ワ17
- ワ27944 → ワ18
- ワ26439 → ワ19
- ワ25597 → ワ20
- ワ26952 → ワ21
- ワ26924 → ワ22
- ワ26690 → ワ37
同形車
前述のように、1943年(昭和18年)に実施された戦時買収により、3社(富山地方鉄道(旧富岩鉄道)、鶴見臨港鉄道、豊川鉄道)から42両が本形式に編入されている。
富岩鉄道ワ10形
富岩鉄道のワ10形は、1937年(昭和12年)4月22日に日本車輌製造で12両(ワ10 - ワ21)が製造された、鉄道省ワ22000形の同形車である。1941年(昭和16年)12月1日の富山地方鉄道への合併を経て、1943年(昭和18年)6月1日の戦時買収により国有化され、ワ28386 - ワ28397となった。
鶴見臨港鉄道ワ3101形
鶴見臨港鉄道のワ3101形は、1941年(昭和16年)5月から1942年(昭和17年)5月にかけて日本車輌製造東京支店で20両(ワ3101 - ワ3120)が製造された、鉄道省ワ22000形の同形車である。1943年(昭和18年)7月1日の戦時買収により国有化され、ワ28398 - ワ28417となった。
脚注
- ^ 吉岡心平・植松昌『増補版 よみがえる貨物列車』Gakken、2023年、p.36
参考文献
- 吉岡心平「プロフェッサー吉岡の貨車研究室」第64 - 66回、レイルマガジン 2012年12月号 - 2013年2月号(Nos.351 - 353)
- 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
- 「国鉄貨車形式図集I」1992年、鉄道史資料保存会刊
- 南野哲志・加納俊彦「RM LIBRARY 62 三岐鉄道の車輌たち―開業からの50年―」2004年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5068-8
- 渡辺一策・矢嶋亨「RM LIBRARY 124 鶴見線貨物回顧」2009年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-5271-4
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