走り装置は12 t 長軸を使用した一段リンク式であったが、1956年(昭和31年)から1957年(昭和32年)にかけて、90両が車体の鋼体化と二段リンク化改造を受け、ワム90000形に編入された。残りの車輌については、1963年(昭和38年)からは雨漏り対策として側面・妻面の木部羽目板を耐水合板に交換する工事が進められ、約半数の車両が合板張りになった。並行して、3,223両に対しては走行装置の二段リンク化改造も実施され、大半の車両が「1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正」[注 5]以降も引き続き使用されたが、1970年代の前半から廃車が始まり、1985年(昭和60年)までに全車が廃車となった。
有蓋車に対する増積の実施
1943年(昭和18年)から貨車の戦時増積[注 6]が実施されたが、国鉄貨物輸送の全盛期である1960年(昭和35年)にも輸送力不足の対策として、15 t 積み有蓋車の中で設計強度に余裕のあるワム50000形、ワム1900形、ワム2000形の3形式について、特定品目を除き 2 t の増積が実施された。荷重は 15 t と 17 t の二重表記とされ、形式の前に特殊標記符号として「オ」を付加し、「オワム」標記とされた。この措置は 17 t 積み有蓋車ワラ1形が量産されたことにより、1966年(昭和41年)に廃止された。
1961年(昭和36年)に大宮工場でワム50000形を種車として1両のみ改造製作された積付試験車である。運転または入換中に発生する荷崩れを観察して積付方法の研究や指導に使用された。改造に際して片側の側板を10 mm 厚の透明な硬質塩化ビニル板とし内部の様子が外から観察できるようになっている。また突放打ち当て試験時に速度を測定するため透明側に車軸発電式速度計が設けられている。外板塗色は黒。1984年(昭和59年)度に廃車。
^いわゆる「ヨンサントオ改正」。このダイヤ改正から北海道地区や石炭列車などの一部の列車を除き、貨物列車の最高速度が75 km/h に引上げられた。
^戦時増積は2段階で実施され、1941年(昭和16年)末から一部の形式で 2 t の増積みが実施され、1943年(昭和18年)にはほとんどの形式が対象になり、終戦後の1946年(昭和21年)に廃止されるまで続いた。このときは、増積トン数1 - 5 t に対してイロハニホの符号を ロワム51234 のように表示した。