吉備町(きびちょう)は、かつて岡山県都窪郡にあった町である。吉備町のあった地域の現況については吉備地域参照。
歴史
吉備地域は古くは備中国に属し、庭瀬は賀陽郡に、撫川は都宇郡にそれぞれ属していた。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの功によって戸川達安が庭瀬藩初代藩主となり、この地を支配するようになった。1699年(元禄12年)、藩主が板倉氏になり明治維新に至った。
1871年、廃藩置県により庭瀬藩は庭瀬県となった。その後、深津県・小田県を経て岡山県に編入された。
1889年の町村制施行により庭瀬村と撫川村が発足し、後にそれぞれ町制施行した。1937年には両町が合併し吉備町となり、都窪郡に属した。
1971年3月8日、吉備町は岡山市に編入合併され、町制時の10大字(庭瀬、平野、延友、西花尻、東花尻、川入、下撫川、大内田、中撫川、日畑東組)のうち下撫川は撫川と、日畑東組は納所と改称して他の8大字とともに同市の大字に継承された。
合併以降は吉備地域#歴史参照
沿革
人口
1920年(大正9年)
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6,561人
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1925年(大正14年)
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6,720人
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1930年(昭和5年)
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6,755人
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1935年(昭和10年)
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7,005人
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1940年(昭和15年)
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6,817人
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1947年(昭和22年)
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8,255人
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1950年(昭和25年)
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8,435人
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1955年(昭和30年)
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8,312人
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1960年(昭和35年)
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8,236人
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1965年(昭和40年)
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8,672人
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1970年(昭和45年)
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10,957人
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総務省統計局 / 国勢調査(1970年)
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施設
教育
交通
鉄道
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク