原田 清一(はらだ せいいち、1890年〈明治23年〉1月11日 - 1972年〈昭和47年〉10月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等は正四位勲二等。
経歴
1890年(明治23年)、岩手県生まれ。海軍兵学校第39期を1911年(明治44年)7月18日に卒業し、1912年(大正元年)12月1日に海軍少尉に任官された。1934年(昭和9年)8月25日に「襟裳」特務艦長に就任し、11月15日に海軍大佐に進級した。1935年(昭和10年)2月22日に横須賀鎮守府附となり、5月25日に「夕張」艦長に就任した。同年10月31日に軍令部出仕となり、12月1日に海軍省軍事普及部第2課長に着任。1937年(昭和12年)11月に大本営海軍報道部第3課長に転じ、1938年(昭和13年)9月に「出雲」艦長、1939年(昭和14年)11月に「日向」艦長を歴任した。
1940年(昭和15年)11月15日に海軍少将進級と同時に佐世保人事部長兼佐世保鎮守府人事長に着任。1942年(昭和17年)8月1日に興亜院厦門連絡部長官に就任し、太平洋戦争に出征。同年11月1日に厦門方面特別根拠地隊司令官に就任し、1944年(昭和19年)5月に海軍中将に進級した。1946年(昭和21年)3月10日に予備役に編入された。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
年譜
栄典
- 外国勲章佩用允許
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」12頁。
- ^ 「畑俊六外七十二名」 アジア歴史資料センター Ref.A10113475800
参考文献