フランス革命戦争に際して大量の未熟練義勇兵が加わったことにより、歩兵各部隊ごとの練度に著しい格差が生じたが、これを解消するために、熟練部隊と未熟練部隊の混成(アマルガム)で新たに編成したのが半旅団である(「アマルガム#広義のアマルガム」参照)半旅団指揮官の階級は大佐相当で「シェフ・ド・ブリガード(chef de brigade)」と呼ばれた。
1793年中頃までには、フランスは1792年に征服したすべての土地を失い、複数の正面で戦っていて、諸外国の侵入を受ける恐れがあった。この揺り返しを覆すために、フランスは数々の手立てを講じた。1793年8月後半、ラザール・カルノーの発案により「国民皆兵(ルヴェ・アン・マッス、levée en masse)」制すなわち若い未婚の男子に対する大規模な徴兵制を導入した。同じく8月後半には、歩兵部隊を混合編成(アマルガム)する法律も通過し、「半旅団」が形成されることとなった。
国民皆兵制はフランス陸軍の規模を一挙に拡大させ、1794年8月までには100万人以上(1,075,000人)が武装していた[2]。半旅団は歩兵部隊を組織する合理的で単純な方法であったが、当時の戦争状況のため、編成が進んだのは1794年になってからだった。いくつかの半旅団が別々に、あるものは戦列歩兵(「戦闘半旅団」(Demi-brigade de Bataille)(1792年-1796年)、「戦列歩兵半旅団」(Demi-brigade d'Infanterie de Ligne)(1796年-1803年)として、あるものは軽歩兵(「軽歩兵半旅団」(Demi-brigade d'Infanterie Légère)として編成されたが、いずれも兵器や装備の統一が取れていなかった。フランス革命戦争の進展とともに、各半旅団は特定の色の制服を着用するようになった。