加藤 泰候(かとう やすとき)は、江戸時代中期から後期の大名。別名、泰輝。伊予国大洲藩の第9代藩主。官位は従五位下・遠江守。
略歴
第6代藩主・加藤泰衑の四男として誕生。幼名は次郎四郎。
明和6年(1769年)、先代藩主で兄の泰行の死去により、養子となって跡を継いだ。藩財政再建のため、安永4年(1775年)に磁器生産を命じて、砥部焼を創始させる。天明7年(1787年)7月4日に死去し、跡を長男の泰済が継いだ。
書道の腕に優れており、法華寺の「護国」・見性庵の「願王殿」「龍澤山」などの泰候の書を彫刻したものが木額として残っている。
系譜
加藤氏 大洲藩9代藩主 (1769年 - 1787年) |
---|
脇坂家 | |
---|
加藤家 | |
---|