前田 秀樹(まえだ ひでき、1954年5月13日 - )は、京都市右京区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)、DF(リベロ)。
略歴
選手として
小学校 (京都市立太秦小) 時代にサッカーをはじめ、京都商業高校(現在の京都学園高校)で国体京都府代表に選出された。法政大学では関東大学リーグおよび大学選手権の優勝を経験した。大学卒業後は古河電気工業に所属し、1981年および1982年に日本サッカーリーグのベストイレブンを受賞した。
また、法大在学中より日本代表に選出。1980年代前半の日本代表で主将を務めた。
日本サッカーリーグの1988-89シーズンにて、元号が「昭和」から「平成」に替わった後の1989年2月26日、対住友金属工業戦で後藤義一からのコーナーキックを頭で合わせてゴールを決めた。これが「平成」初となる日本サッカー公式戦初得点であり、かつ前田自身の現役最後のゴールともなった[2]。
解説者として
1990年に引退後はサッカー解説者を務め、スカパー!では主に水戸戦の解説を担当。
また、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選の日本代表×イラク代表戦(1993年10月28日、「ドーハの悲劇」)のテレビ中継で解説を務めた[2]。実況は久保田光彦で、久保田と前田のコンビは、当時放送されていた『ダイナミックサッカー』でも見られた。
指導者として
2003年よりJ2所属の水戸ホーリーホックの監督に就任[3]。「水戸ナチオ」と呼ばれる堅守速攻が特徴的であり、水戸ホーリーホックの新監督となった時に他クラブより劣っていた資金面・戦力面を徹底した専守防衛で補おうとした。守備時は全選手が自陣深くまで退き、攻撃はカウンター一筋でポゼッションは放棄していた。一部サポーターが「水戸ナチオ」と呼ぶようになり、2007年以降は攻撃的サッカーへ転換するが、水戸を代表する代名詞として用いられている。2007年のシーズン終了を以って、監督を退任[3]。
2008年1月25日、東京国際大学体育会サッカー部の監督に就任[4]。2013年より関東リーグ2部へ昇格。
所属クラブ
個人成績
※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退
・JSL東西対抗戦 3回出場(1981年、1982年、1984年)
・JSL選抜チーム(1986年)1試合0得点
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 65試合 11得点(1975-1984)[1]
出場
得点数
指導歴
監督成績
年度 |
所属 |
クラブ |
リーグ戦 |
カップ戦
|
順位 |
試合 |
勝点 |
勝利 |
引分 |
敗戦 |
リーグ杯 |
天皇杯
|
1998 |
旧JFL |
横河電機 |
8位 |
24 |
20 |
7 |
0 |
17 |
- |
予選敗退
|
1999 |
JFL |
12位 |
22 |
9 |
2 |
3 |
17 |
- |
予選敗退
|
2003 |
J2 |
水戸 |
7位 |
44 |
56 |
15 |
11 |
18 |
- |
3回戦
|
2004 |
9位 |
44 |
37 |
6 |
19 |
19 |
- |
4回戦
|
2005 |
10位 |
44 |
52 |
13 |
13 |
18 |
- |
4回戦
|
2006 |
10位 |
48 |
51 |
14 |
9 |
25 |
- |
3回戦
|
2007 |
12位 |
48 |
34 |
8 |
10 |
30 |
- |
4回戦
|
DVD
関連項目
出典
外部リンク