別川悠紀夫別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月25日[1] - 1977年(昭和52年)5月28日[2])は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 経歴石川県[2]石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石[3])で生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)を経て[3]、1942年(昭和17年)中央大学経済学部を卒業した[2][3]。全国農業会産業組合中央会職員となり太平洋戦争に出征した[2]。 1946年(昭和21年)石川県農業会に入り、以後、石川県農業協同組合中央会参事、同常務理事、同県信用農業協同組合連合会理事、同経済農業協同組合連合会理事、同共済農業協同組合連合会理事などを務めた[2][3]。 1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で石川県第1区から自由民主党公認で出馬して当選し[4]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、石川県農林年金受給者連盟会長、衆議院社会労働委員、同災害対策特別委員、自民党災害対策副委員長、同商工局次長、同農林副部会長、同保健体育政策副委員長などを務めた[2][3]。1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙に立候補したが落選した[3][4]。 その後、経済界に転じ、1974年(昭和49年)金沢港運社長に就任[2][3]。その他、金沢港振興協議会相談役、別川製作所取締役、金沢港木皮焼却施設管理協同組合理事長、石川県地方港湾審議会委員などにも在任した[2][3]。 脚注参考文献
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