全国高等学校サッカー選手権大会山梨県大会(ぜんこくこうとうがっこうサッカーせんしゅけんたいかい やまなしけんたいかい)は、全国高等学校サッカー選手権大会の山梨県予選大会である。
概要
大会方式
以下、第99回大会時点について記述する。
全国高等学校総合体育大会山梨県予選にてベスト4に進出した4校をシードに4つのブロックに分ける。シード校は3回戦からとなるため、1回戦が4試合実施され、残りは2回戦からとなる。3回戦までは山梨県内にある天然芝または人工芝の各グラウンドが使用され、高校に付帯されているサッカーグラウンドが使用されることがある。準々決勝は韮崎中央公園の陸上競技場または芝生広場で各2試合が実施され、準決勝・決勝は山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場で行われる。
本大会出場校選考について
第1回から第8回までの日本フットボール優勝大会時代は関西地区の学校のみのため山梨県の学校は参加せず、第9回の全国中等学校蹴球選手権大会より全国規模に拡大を受けて関東中学校蹴球大会に初参加。第18回から第22回までは神奈川県と静岡県の3県で山神静大会として参加している(第23回、第24回は太平洋戦争の影響により中止)。
戦後、第25回は関西地区の学校のみで実施されたため参加しなかったが第26回では中部地域大会に参加したことで復帰し、第31回では山梨県単独による山梨県大会で代表を決め、第32回では静岡県と長野県による甲信静大会、第33回より神奈川県と西関東大会で代表を決めていた。第40回より再び単独による山梨県大会で代表を決めていたが、第45回に現在の大会名に改名された際に本大会の参加数が減少し、選考が高校総体や国民体育大会の成績などを基に選考会により出場校を決定していた。第50回より再び地区予選方式となり神奈川県との西関東大会が復活。第52回には神奈川県が単独となったため長野県との甲信大会が行われていた。
再び山梨県大会による県単独の出場になったのは1975年の第54回からで、この時は本大会に出場できたのは29代表校のみで他府県では地域大会が続いており、県人口が200万人未満で単独代表を輩出していたのは山梨県のみであった[注 1](1都道府県1代表制になったのは1983年の第62回大会から)。
過去の代表校
脚注
注釈
- ^ 単独で代表を輩出していた県で次に人口が少なかったのは甲信大会で一緒だった長野県であるが、1975年の国勢調査の時点で約201万人と200万人を超えていた。なお、1975年時点での山梨県の人口は約78万人で、100万人以上になったことはない。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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