亜ジチオン酸ナトリウム (あジチオンさんナトリウム)は化学式 Na2 S2 O4 の化合物 であり、亜ジチオン酸 のナトリウム 塩 である。亜二チオン酸ナトリウム 、次亜硫酸ナトリウム 、ハイドロサルファイトナトリウム 、あるいは単にハイドロサルファイト とも呼ばれる。また、ジチオナイト といった場合、この化合物や、溶かすことによって得られる亜ジチオン酸イオンを指す場合が多い。
化学的性質
無水物 はわずかに亜硫酸ガス の刺激臭を帯びる白色の単斜晶である。水に溶けやすく、エタノールにはわずかに溶ける。他に二水和物 が知られているが、黄色味がかった柱状結晶で、容易に脱水して無水物になるほか、空気中の酸素によって酸化されやすく不安定である。無水物がC2 対称構造をとりねじれ角16°の重なり形配座 であるのに対し、二水和物はねじれ角56°のゴーシュ配座 になっている[ 1] 。以下の記述は無水物についてである。
空気中で 90 °C 以上に加熱すると次第に分解して硫酸ナトリウムと二酸化硫黄を生じる。空気がなければ 150 °C で激しく分解し、亜硫酸ナトリウム、チオ硫酸ナトリウムと二酸化硫黄、微量の硫黄を生じる。
空気中で粉末の状態で少量の水と接すると、分解によって生じる熱によって引火することがある。空気がなく湿気だけの場合にはわずかに分解するのみである。
水溶液中での分解
水溶液は酸性であり低温ではゆっくりと、高温では速やかにチオ硫酸ナトリウム と亜硫酸水素ナトリウム に分解する。また酸性度が高いほど速く分解する。
2
Na
2
S
2
O
4
+
H
2
O
⟶ ⟶ -->
Na
2
S
2
O
3
+
2
NaHSO
3
{\displaystyle {\ce {2Na2S2O4\ + H2O -> Na2S2O3\ + 2NaHSO3}}}
また酸素が存在すれば硫酸水素ナトリウム と亜硫酸水素ナトリウム に分解する。
Na
2
S
2
O
4
+
O
2
+
H
2
O
⟶ ⟶ -->
NaHSO
4
+
NaHSO
3
{\displaystyle {\ce {Na2S2O4\ + O2\ + H2O -> NaHSO4\ + NaHSO3}}}
硫酸水素ナトリウムと亜硫酸水素ナトリウムはpH を下げるため、次第に分解が加速する。強い酸性条件では以下のような二酸化硫黄 が発生する反応が起きる。
2
H
2
S
2
O
4
⟶ ⟶ -->
3
SO
2
+
S
+
2
H
2
O
{\displaystyle {\ce {2H2S2O4 -> 3SO2\ + S\ + 2H2O}}}
3
H
2
S
2
O
4
⟶ ⟶ -->
5
SO
2
+
H
2
S
+
2
H
2
O
{\displaystyle {\ce {3H2S2O4 -> 5SO2\ + H2S\ + 2H2O}}}
一方、アルカリ性 (pH 9–11) の溶液は安定で1時間に約1%しか分解しない。このとき強い還元力を示す。強アルカリ性条件では亜硫酸と硫化物に分解する。
3
Na
2
S
2
O
4
+
6
NaOH
⟶ ⟶ -->
5
Na
2
SO
3
+
Na
2
S
+
3
H
2
O
{\displaystyle {\ce {3Na2S2O4\ + 6NaOH -> 5Na2SO3\ + Na2S\ + 3H2O}}}
製法
いくつかあるが、工業的主流は亜鉛塵法とギ酸ソーダ法である。
亜鉛塵法
亜鉛 の粉末を水に懸濁し二酸化硫黄を通すと、亜鉛が溶けて亜ジチオン酸亜鉛となる[ 2] 。水酸化ナトリウム や炭酸ナトリウム を加え、亜鉛分を水酸化亜鉛(II) の白色沈澱として析出させ、減圧濃縮した後にメタノールと塩化ナトリウムを加えると亜ジチオン酸ナトリウムの無水物が析出する。メタノールで洗浄後乾燥させる。
Zn
+
2
SO
2
⟶ ⟶ -->
ZnS
2
O
4
{\displaystyle {\ce {Zn\ + 2 SO2 -> ZnS2O4}}}
ZnS
2
O
4
+
2
NaOH
⟶ ⟶ -->
Zn
(
OH
)
2
↓ ↓ -->
+
Na
2
S
2
O
4
{\displaystyle {\ce {ZnS2O4\ +2NaOH->Zn(OH)2\downarrow \ +Na2S2O4}}}
ギ酸ソーダ法
三菱ガス化学 が実用化した方法で[ 3] 、80%メタノールにギ酸ナトリウムを溶かし、二酸化硫黄と水酸化ナトリウムを加えると、亜ジチオン酸ナトリウムの無水物が析出する。ギ酸ナトリウムは多価アルコール製造の副生成物として得られるため、亜鉛塵法と比べて低コストであることが利点となっている。
HCOONa
+
2
SO
2
+
NaOH
⟶ ⟶ -->
Na
2
S
2
O
4
↓ ↓ -->
+
CO
2
+
H
2
O
{\displaystyle {\ce {HCOONa\ +2SO2\ +NaOH->Na2S2O4\downarrow \ +CO2\ +H2O}}}
アマルガム法
亜硫酸水素ナトリウム水溶液に、食塩電解槽でつくったナトリウムアマルガム を接触させて還元することによって得られる。
水素化ホウ素ナトリウム法
水素化ホウ素ナトリウム は強アルカリ水溶液中で安定な還元剤であり、二酸化硫黄と水酸化ナトリウムを加えることで亜ジチオン酸ナトリウムを生ずる。
NaBH
4
+
8
NaOH
+
8
SO
2
⟶ ⟶ -->
4
Na
2
S
2
O
4
+
NaBO
2
{\displaystyle {\ce {NaBH4\ + 8NaOH\ + 8SO2 -> 4Na2S2O4\ + NaBO2}}}
電解法
半透膜で仕切られた電解槽で二亜硫酸イオンを還元すると亜ジチオン酸イオンが生じる。
こうして得られた亜ジチオン酸ナトリウムの純度は9割程度であり、二亜硫酸ナトリウム、亜硫酸ナトリウム、硫酸ナトリウム、炭酸ナトリウムなどが不純物として含まれる。
世界における年間製造量は55万トン(2001年)と推定され、およそ半量が織物の染色や漂白に、3分の1がパルプや紙の漂白に用いられている。
利用
還元 性が強く、還元剤 や漂白剤としてまた、酸素 吸収剤としても用いられる。家庭用品としても、おもに染み抜き剤として普及しているほか、水質改善やバッテリー添加剤として利用されている。
食品添加物
食品衛生法 による指定添加物であり、法令上の表記は次亜硫酸ナトリウムであるが、食品表示基準 では「亜硫酸塩」と簡略表記することが認められている[ 4] 。漂白剤・保存料・酸化防止剤として利用されているが、食品、添加物等の規格基準 により、ごま、豆類および野菜に対する使用は禁止されている。理由は、漂白する必要がないとみなされているためである[ 5] 。
工業利用
染色工程で水に不溶の染料を還元して可溶性のアルカリ金属塩にするなどの利用がある。藍 の建染め の際に、水に不溶なインディゴ を可溶化させるのに用いられる。また、またジチオナイトの還元力によって過剰な染料や、余った酸化剤、意図しない染色などを防ぐことができ、染色品質を上げることができる。皮革、食品、高分子、写真などの工業で利用されている。またホルムアルデヒドと反応させることで漂白剤ロンガリット を生じ、パルプ、綿、羊毛、革、カオリンなどの脱色に用いられる。
生化学
酸化還元滴定 の際の還元剤として、酸化剤フェリシアン化カリウム との組み合わせで頻用される。つまりジチオナイトで溶液の酸化還元電位を下げておきフェリシアニドを滴下していく、もしくはその逆を行う。
土壌化学
亜ジチオン酸イオンは2価・3価金属イオンに強い親和性を持つため、鉄の溶解度を上げることができる。そこで土壌分析においては、クエン酸 やEDTA のようなキレート剤と共に用いて、酸化水酸化鉄(III) を二価の鉄イオンに還元して、(ケイ酸塩鉱物 に含まれていない)遊離の酸化鉄を抽出定量する際に用いられている。
危険性
消防法 による危険物には該当しないが、国連分類では自然発火性 (4.2) とされており船舶・航空輸送に際して各種規制を受ける。
経口毒性は 2500 mg/kg(ラットLD50 )と比較的低く、急性中毒症状としては、脱力、胃腸炎、下痢、呼吸困難などが挙げられる。経皮毒性や吸入毒性については確かなデータがない。しかし皮膚に対する若干の刺激性と、眼の粘膜に対する強い刺激性があり、さらに酸性条件では呼吸器に対する刺激性を持つ二酸化硫黄 を発生する。
慢性毒性に関するデータはない。体内では急速に分解されるが、分解産物の亜硫酸塩、亜硫酸水素塩、硫酸塩、チオ硫酸塩などは毒性の程度が低い。ただし亜硫酸塩は一般に食品中のチアミン 量を減少させる点に留意が必要である。変異原性は認められていない。発がん性に関する直接のデータはないが、分解産物はいずれもIARCによりグループ3(人に対する発がん性を分類できない)とされている。生殖毒性・発生毒性についても直接のデータはないが、分解産物は特に悪影響を及ぼさない。ただしチアミン分解に起因する母体の栄養不良や発育遅滞が報告されている。
水中で急速に分解されるため、生体濃縮のおそれや環境に対する直接の悪影響はないと考えられる。
歴史
1718年にシュタール (Stahl) が鉄を亜硫酸で処理した際に偶然黄色い溶液を得たのが最初である。1789年にベルトレー (Bertholet) はこの反応で水素が生じないことを示した。1852年、シェーンバイン (Schönbein) がインディゴの還元に用いた。1870年、フランスの化学者ポール・シュッツェンベルジェ (フランス語版 ) が二水和物を単離し、化学式を NaHSO2 ·H2 O だとして "hydrosulfite de soude " (ソーダのハイドロサルファイト)と名付けた[ 6] 。1881年になってドイツの化学者アウグスト・ベルントゼン (ドイツ語版 ) が化学式が Na2 S2 O4 であることを示した[ 7] 。1905年、BASF 社のマックス・バズレン (Max Bazlen) が亜鉛塵法により安定な無水物を製造した。このとき同じくBASF社のヘルマン・ウルフ (Hermann Wolf) も同じ研究に取り組んでいたが、30分差でバズレンに特許が与えられた[ 8] [ 9] 。
第二次世界大戦後、高コストな亜鉛を使わずにナトリウムアマルガムで還元する方法が主流となったが、20世紀後半になると水銀の使用が忌避されて亜鉛塵法やギ酸ソーダ法が主流となった。
1976年 2月5日 、東北本線 福島駅 で亜ジチオン酸ナトリウム10トンを積んだ貨車 から発煙。消防署員が駆け付けたが処理方法が分からず、1時間半後に専門家を招いて消火方法を検討したが、結局放水を行うこととなった。放水を受けて積荷の亜ジチオン酸ナトリウムが火柱をあげて燃え始め、大量の亜硫酸ガス が発生。ガスは駅周辺へ流出し、デパート の店員らがのどの痛みを訴えるなどの被害が出た[ 10] 。
出典
^ Weinrach, Jeffrey B.; Meyer, Dale R.; Guy, Joseph T.; Michalski, Paul E.; Carter, Kay L.; Grubisha, Desiree S.; Bennett, Dennis W. (1992). “A structural study of sodium dithionite and its ephemeral dihydrate: A new conformation for the dithionite ion”. Journal of Crystallographic and Spectroscopic Research 22 (3): 291–301. doi :10.1007/BF01199531 . ISSN 0277-8068 .
^ Pratt, L. A. (1924). “The Manufacture of Sodium Hyposulfite.”. Industrial & Engineering Chemistry 16 (7): 676–677. doi :10.1021/ie50175a006 . ISSN 0019-7866 .
^ 特許第737412号
^ “食品表示基準について(平成27年3月30日消食表第139号) - 別添 添加物1-1 簡略名又は類別名一覧表 ” (pdf). 消費者庁 . p. 3 (2015年1月30日). 2023年10月19日 閲覧。 (上位ページ:食品表示法等(法令及び一元化情報) )
^ 厚生省環境衛生局長 (1971年11月8日). “食品、添加物等の規格基準の一部改正について ”. 厚生労働省 . 2023年10月19日 閲覧。
^ Schützenberger, M. P. (1870). Ann. Chim. Phys. 20 : 351.
^ Bernthsen, A. (1881). “Ueber das unterschwefligsaure (hydroschwefligsaure) Natron”. Justus Liebigs Ann. Chem. 208 : 142-181. doi :10.1002/jlac.18812080111 .
^ DE 160529
^ “Hydrosulfit: Der Evergreen unter den Textilhilfsmitteln wird 100 ” (2004年3月26日). 2011年10月29日 閲覧。
^ 貨車から突然有毒ガス 危険物指定外の漂白剤が発熱 繁華街、涙やセキ『朝日新聞』昭和51年2月6日朝刊、13版、23面
参考文献
関連項目
外部リンク