井上 正広(いのうえ まさひろ、明和9年9月22日(1772年10月18日) - 寛政12年7月4日(1800年8月23日)[1][2])は、江戸時代後期の大名。常陸下妻藩の第6代藩主。第5代藩主・井上正棠の長男。正室は仙石政辰の娘。官位は従五位下、遠江守、越前守。
幼名は一三郎。天明7年(1787年)3月、世子となる。寛政元年(1789年)3月14日、父の隠居により跡を継ぐ。寛政12年(1800年)7月4日に死去し、跡を弟の正建が継いだ。法号は義徳院顕理日覚。
系譜
父母
正室
養子
脚注
- ^ 『井上正広』 - コトバンク
- ^ 『徳川実紀 続 第1篇』(経済雑誌社、1905年)p.810
井上氏 下妻藩6代藩主 (1789年 - 1800年) |
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水戸松平家 | |
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福井松平家 | |
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久松松平家 | |
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土井家 |
- 土井利益1658-1675(古河藩領から分知)
- 土井宗家相続により古河藩へ再編入
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井上家 | |
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