井上 正建(いのうえ まさのり、安永5年9月14日(1776年10月25日) - 文化14年8月6日(1817年9月16日))は、常陸下妻藩の第7代藩主。第5代藩主・井上正棠の次男。官位は従五位下、左近将監。
寛政12年(1800年)、兄・正広の死去により跡を継ぐ[1]。文化13年(1816年)9月14日、養嗣子の正廬に家督を譲って隠居し、文化14年(1817年)8月6日に42歳で死去した。法号は義賢院映徳日進。墓所は東京都台東区の谷中霊園。
系譜
父母
養子
脚注
- ^ 『徳川実紀 続 第1篇』(経済雑誌社、1905年)p.810
井上氏 下妻藩7代藩主 (1800年 - 1816年) |
---|
水戸松平家 | |
---|
福井松平家 | |
---|
久松松平家 | |
---|
|
土井家 |
- 土井利益1658-1675(古河藩領から分知)
- 土井宗家相続により古河藩へ再編入
|
---|
|
井上家 | |
---|