中込伸

中込 伸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県甲斐市
生年月日 (1970-02-16) 1970年2月16日(54歳)
身長
体重
183 cm
104 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1988年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1990年5月13日
CPBL / 2002年3月9日
最終出場 NPB / 2001年8月24日
CPBL / 2005年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 兄弟エレファンツ (2005)
  • サムライ那覇 (2006 - 2007)
  • 兄弟エレファンツ (2008 - 2009)

中込 伸(なかごみ しん、1970年2月16日 - )は、山梨県出身の元プロ野球選手投手)・指導者・監督2009年まで中華職業棒球大聯盟兄弟エレファンツの監督を務めていた。

来歴・人物

中学時代は剃り込み頭にちゃんちゃんこ雪駄という恰好で通学していた。[要出典]

中学卒業後は志望校に入れず、田名網英二総監督の誘いで[1]山梨県立甲府工業高等学校定時制に進学。翌年、全日制に編入[2]1987年には、エースとして第59回選抜大会に出場した。

現役時代

前述の経緯から高校在籍4年目も卒業に必要な単位取得のため、1988年兵庫県立神崎工業高等学校定時制(機械科)に編入した上で、阪神タイガースへ練習生(公式には球団職員)として在籍。阪神の田丸仁スカウトが法大先輩である甲府工・田名網総監督に話を持ち掛けたことがきっかけ[2]1988年度ドラフト会議にて阪神タイガースから1位指名を受けて入団した。

1990年、右ひじを痛めた影響からフランク・ジョーブの執刀のもと軟骨除去手術を行う。

1991年に無四球完投でプロ初勝利[3]

1992年には体格100kgを越える巨体から重い速球とカットボール(当時はまっスラと言われてた)・フォークボールを武器に9勝8敗・防御率2.42を記録し、優勝争いを演じたチームの主軸投手として大活躍。

1994年1995年にも再び右ひじを手術。

1997年に先発として復活。

1998年には5年ぶりの規定投球回をクリアしたが前年程の安定感は無くこの年のセ・リーグ最多敗戦投手となった。

1999年から就任した野村克也とは体型の管理などで反りが合わず登板が激減。中谷仁山村宏樹を負傷させるなどのトラブルもあった。

2000年オフ、FA宣言をしていた新庄剛志が、阪神残留の条件として背番号を1へ変更を希望したため、中込本人は快諾し背番号を55に変更したが、新庄はニューヨーク・メッツに移籍してしまい、背番号1は空白になってしまった。(結局背番号1は翌2001年に西武ライオンズから移籍した谷中真二が付けた。)

2001年オフに自由契約となる。

2002年福岡ダイエーホークスの入団テストを受けて再起を図るも、不合格となった。その後、中華職業棒球大聯盟(CPBL)・兄弟エレファンツに入団。

2005年には兼任コーチも務め、同年限りで現役を引退。

阪神時代のチームメイトの郭李建夫と風貌、顔がそっくりで、入団当初は、「実は兄弟ではないか」と話題になりやくみつる中山ラマダらの4コマ漫画でネタにされたことがある。そのせいもあってか中込は、「他人のような気がしない」、「僕のお兄さん」と当時は日本語も話せず日本の生活にも慣れない郭李の面倒をよくみていたという。故障とフォーム矯正のために投球までもが中込と見分けがつかなくなった。この二人は仲がよく、中込が日本球界のトライアウトに落ちたときも郭李が台湾球界入りをアシストしたといわれる。

引退後

2006年沖縄県社会人野球クラブサムライ那覇」を結成し監督兼主宰者となる。

2007年末から、兄弟エレファンツに投手コーチとして復帰。

2009年5月から兄弟監督に就任し、チームを台湾シリーズ進出に導いた。

だが、同年10月末、台湾プロ野球界を揺るがす八百長騒動で選手が逮捕、解雇されたことにより監督を解任された。その後、自身の関与も疑われ同年11月2日に台湾検察当局より事情聴取を受ける[4]

2010年2月10日、台湾の検察当局は中込を元La Newベアーズ張誌家ら選手監督7人を含む計24人と共に賭博罪詐欺罪で起訴し、中込に対しては懲役1年6か月を求刑した[5][6]。初公判では起訴事実を一部[7]7月13日の公判では全て認めた[8]。12月に中込は起訴内容を全て認め、詐欺罪で懲役1年8か月、執行猶予4年の有罪判決が確定する。

2011年2月21日に日本に帰国したが、罪を認めたのは家族の為に早く日本に帰国したかったからで、あくまで八百長には関与していないと主張した[9]

詳しくは『中華職業棒球大聯盟#八百長問題』も参照。

2011年12月16日阪神甲子園球場そばで「焼肉 伸SHIN 甲子園店」を開業、飲食店オーナーとなる[10]。阪神入団同期の高村洋介がオーナーであった店舗を改装した。

2012年9月21日放送の『爆報! THE フライデー』(TBS系)でその後が報道され、八百長関与否定を再度主張した[11]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1990 阪神 4 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 56 11.1 19 5 5 0 0 5 1 0 11 11 8.74 2.12
1991 13 12 2 0 1 1 4 0 -- .200 300 71.1 62 10 29 1 0 47 5 0 36 34 4.29 1.28
1992 28 27 7 1 1 9 8 0 -- .529 811 200.2 147 18 77 6 1 111 5 0 61 54 2.42 1.12
1993 28 28 4 0 0 8 13 0 -- .381 822 199.0 175 19 62 7 2 153 6 0 86 82 3.71 1.19
1996 8 7 0 0 0 0 4 0 -- .000 146 31.1 45 4 9 0 0 25 2 0 26 23 6.61 1.72
1997 23 20 1 0 0 7 7 0 -- .500 467 110.2 104 8 38 4 2 60 2 1 48 38 3.09 1.28
1998 26 25 1 0 0 8 13 0 -- .381 640 143.0 181 17 40 0 3 69 3 0 81 76 4.78 1.55
1999 15 13 0 0 0 2 7 0 -- .222 347 82.2 86 5 21 2 1 41 0 0 37 30 3.27 1.29
2000 25 3 0 0 0 3 3 2 -- .500 220 48.2 66 5 10 0 4 37 1 0 26 25 4.62 1.56
2001 12 0 0 0 0 3 1 0 -- .750 77 17.2 14 3 9 1 0 14 2 0 13 8 4.08 1.30
2002 兄弟 28 25 8 2 0 15 9 0 0 .625 791 190.2 185 13 44 1 6 123 7 0 79 69 3.26 1.20
2003 27 22 4 1 0 13 8 3 0 .619 668 163.1 157 5 29 2 3 129 4 0 57 46 2.53 1.14
2004 26 25 7 0 2 14 6 0 0 .700 724 175.1 169 11 41 0 5 108 4 1 77 54 2.77 1.20
2005 16 14 1 1 1 3 6 0 0 .333 440 98.1 124 10 27 0 1 52 5 0 59 51 4.67 1.54
NPB:10年 182 138 15 1 2 41 62 2 -- .398 3886 916.1 899 94 300 21 13 562 27 1 425 381 3.74 1.31
CPBL:4年 97 86 20 4 3 45 29 3 0 .608 2623 627.2 635 39 141 3 15 412 20 1 272 220 3.15 1.24
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

CPBL
  • ゴールデングラブ賞(金手套奨):1回(2004年)
  • 月間MVP:2回(2002年5月、2003年9月)
  • 台湾シリーズ優秀選手:1回(2002年)

記録

NPB

背番号

  • 99 (1989年 - 1994年)※練習生時代の1988年にも着用したが、正式に登録されたものではない。
  • 1 (1995年 - 2000年)
  • 55 (2001年 - 2005年)
  • 77 (2008年 - 2009年)

エピソード

  • 若手時代の井川慶は先発KOされた中込をリリーフした試合で死球、四球連発、ヒットと散々の内容で降板したことがあった。その試合では中込に「ごめんな、俺が悪かったよ」と謝られたという。中込から先発投手の責任を学んだ井川は、以降先発した試合では必ず救援投手に声を掛けることにしたと後年振り返っている[12]

関連事項

関係する人物

  • 中谷仁 同僚選手達とバーべキューをしている最中に中谷の携帯電話が鳴り、中込が中谷へ電話を投げて渡したところ、中谷がそれに気付かず左目に当たり、視力を大きく低下させる原因となった。
  • 山村宏樹 中込が公式戦開幕前の二軍練習中に、首筋を踏み、山村はその影響で目眩や吐き気に悩まされたため、精密検査を受けた結果、自律神経失調症と診断された。

出版物

脚注

  1. ^ 週刊ベースボール1988年12月12日号
  2. ^ a b スポーツニッポン2020年12月17日【内田雅也が行く 猛虎の地】夜間教室で知った世間 「99」に込めた初心の誓いと希望描いた通学路
  3. ^ また阪神ではこの中込から湯舟敏郎(1990年1位)→野田浩司(1987年1位)→猪俣隆(1986年1位)→葛西稔(1989年1位)とチーム14年ぶりの5試合連続完投勝利が全てドラフト1位選手によって記録された。
  4. ^ “中込・元阪神投手、台湾の八百長事件で事情聴取”. 読売新聞. (2009年11月2日). https://web.archive.org/web/20091105014222/http://www.yomiuri.co.jp/sports/yakyu/news/20091102-OYT1T01302.htm 2009年11月3日閲覧。 
  5. ^ 共同通信社 (2010年2月10日). “元阪神・中込を起訴…台湾プロ野球八百長事件”. スポーツ報知 (報知新聞社). https://web.archive.org/web/20100213090834/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20100210-OHT1T00209.htm 2010年2月10日閲覧。 
  6. ^ 朝日新聞 2010年2月11日
  7. ^ “元阪神・中込被告、台湾野球での八百長認める”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年4月24日). https://web.archive.org/web/20100425024905/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100424-OYT1T00110.htm 2010年4月24日閲覧。 
  8. ^ “中込前監督、来月17日に判決=起訴内容認める-台湾プロ野球八百長事件” ((日本語)). 時事通信. (2010年7月13日). http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2010071300836 2010年7月13日閲覧。 
  9. ^ 元阪神・中込氏が帰国…八百長関与は否定スポーツニッポン2011年2月21日配信
  10. ^ スポーツニッポン 2012年1月8日付2面(大阪本社発行版)。
  11. ^ https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2012/09/21/0005396176.shtml
  12. ^ 生涯 野球小僧!沢村賞投手・井川慶(元阪神タイガース)の現在地【後編】(土井麻由実) - 個人 - Yahoo!ニュース

関連項目

外部リンク