中本 孝(なかもと たかし、1942年 - 2003年)は、日本の外交官。内閣官房長官秘書官、内閣官房内閣審議官、式部副長などを経て、駐ギリシャ特命全権大使を務めた。
経歴・人物
東京都出身。一橋大学法学部を卒業し、1965年に外務省入省[1]。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官などを経て[2]、1982年外務省アジア局南西アジア課長[3]。
1984年藤波孝生内閣官房長官秘書官[4]。1986年外務大臣官房書記官[5]。同年在連合王国日本国大使館参事官[6]。1988年在イスラエル日本国大使館参事官[7]。
在イスラエル日本国大使館公使を経て、1991年外務省大臣官房外務参事官[8]、内閣官房内閣外政審議室内閣審議官[9]。1993年外務省大臣官房審議官[10][11]。1994年経済協力開発機構日本政府代表部公使[12]。1996年同特命全権公使[13]。
1997年駐モロッコ特命全権大使[14]。1999年大阪担当特命全権大使[15][16]。2000年式部副長(外事総括)[17]。2002年から駐ギリシャ兼駐サイプラス特命全権大使を務めたが[18][19]、翌2003年に退任し[20]、死去した[21]。大阪日米協会名誉会員[16]。
脚注
- ^ 下田陽, 石塚公康「高度の学歴と次官レース 231 人 永田町の思惑次第/36」週刊読売 57(21/22)(2603);1998・5・10/17 (読売新聞社, 1998-05)
- ^ 官報昭和55年本紙第16040号 11頁
- ^ 官報昭和57年本紙第16690号 12頁
- ^ パーキスターン = پاکستان : 日本・パキスタン協会の定期刊行物 特集号 定期刊行物 (日本・パキスタン協会、1984-06) 一致する部品 2 つ
- ^ 官報昭和61年本紙第17794号 10頁
- ^ 官報昭和61年本紙第17842号 13頁
- ^ 官報昭和63年本紙第18320号 11頁
- ^ 官報平成3年本紙第748号 11頁
- ^ 官報平成3年本紙第747号 13頁
- ^ 官報平成5年本紙第1080号 6頁
- ^ 第129回国会 参議院 外務委員会 第5号 平成6年6月23日国会
- ^ 官報平成6年本紙第1457号 11頁
- ^ 官報平成8年本紙第1815号 11頁
- ^ 「モロッコ大使に中本氏」共同通信1997年01月21日
- ^ 学生が授業を評価大阪大学大学院国際公共政策研究科
- ^ a b 大阪日米協会/JAPAN-AMERICA SOCIETY OF OSAKA大阪日米協会
- ^ 官報平成12年本紙第2810号 10頁
- ^ 「ギリシャ大使、中本氏を起用。」2002年6月11日 日本経済新聞 夕刊
- ^ 平成14年8月30日大臣会見の概要文部科学省
- ^ 「ユネスコ大使に佐藤氏。」2003年1月17日 日本経済新聞 夕刊
- ^ 「中本孝氏(死去)」2003年9月3日 日本経済新聞 朝刊
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