丘さとみ

おか さとみ
丘 さとみ
丘 さとみ
1953年
本名 菱田 美恵子(ひしだ みえこ)、渡辺 美恵子(わたなべ みえこ)
生年月日 (1935-09-15) 1935年9月15日
没年月日 (2024-04-24) 2024年4月24日(88歳没)
出生地 日本の旗 日本兵庫県宝塚市
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1955年 - 2024年
配偶者
主な作品
映画
旗本退屈男』シリーズ
大菩薩峠
武士道残酷物語
受賞
ミス・シンデレラ(1953年)
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丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ〉・渡辺美恵子〈わたなべ みえこ〉[1]1935年昭和10年〉9月15日 - 2024年令和6年〉4月24日)は、日本女優兵庫県宝塚市出身。

来歴・人物

1953年3月、尼崎市立尼崎高等学校在学中にディズニー映画『シンデレラ(シンデレラ姫)』の日本公開を記念して行われたRKOラヂオ映画社毎日新聞社主催の「日本シンデレラ姫コンテスト」に応募し、ミス・シンデレラの栄冠に輝く。その副賞で1953年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー撮影所や女優・アン・ブライスの自宅などを訪問したり、ケーリー・グラントとの2度に亘る会食やソニア・ヘニーアイスショー観覧といったハリウッド見学に招待されている[注釈 1]

1954年に尼崎市立尼崎高等学校を卒業後にRKOラヂオ映画社日本支社に就職。RKOラヂオ映画社日本支社関西支社で支社長の秘書として配属される。 この年、ウォルト・ディズニー・カンパニーが初めて日本語吹き替え版を製作した『ダンボ』にて声優(ジャンボ役)も務めた[3]。 しかし、東映にスカウトされて、1955年東映ニューフェイス第2期生として東映に入社して芸能界へ転身した。同期には高倉健今井健二五味龍太郎らがいる。芸名を丘 さとみにして同年の映画『御存知怪傑黒頭巾・新選組追撃』でデビュー。東映時代劇での貢献が大きく、「東映城のお姫さま」と呼ばれ、人気を博した[4](引退までの10年間で約150本もの映画に出演)。

1962年東映を退社してフリーになり、映画出演も続けながらテレビドラマに主な活躍の場を移す。

1965年、在米日系人2世の商業デザイナーと結婚し、引退。3子をもうけるが、1975年に別居。同年、離婚し、女優に復帰する[5]

その後、6歳年下の司法書士と再婚し、再び女優業から遠ざかる[6]

2010年10月16日T・ジョイ京都で開催された「巨匠・内田吐夢 名優・月形龍之介 東映時代劇傑作選(その一) 内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧」のトークショーに出演した。

2024年4月24日、心疾患のためアメリカ合衆国カリフォルニア州の自宅で死去[1]。88歳没。

出演

映画

テレビドラマ

演劇

脚注

注釈
  1. ^ 当時はまだ女優デビュー前で、本名の菱田 美恵子で紹介されている[2]
出典
  1. ^ a b 俳優・丘さとみさん死去 88歳 心疾患 東映時代劇で活躍した「東映城のお姫さま」”. スポニチアネックス (2024年8月1日). 2024年8月1日閲覧。
  2. ^ 菱田美恵子「夢の様なハリウッド見学」『映画の友』1953年7月号、映画の友社
  3. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、61頁。ISBN 9784309225043 
  4. ^ 「東映城のお姫様」女優の丘さとみさん死去、88歳…片岡千恵蔵・中村錦之助・大川橋蔵らの相手役
  5. ^ 「40歳・丘さとみが離婚、近く芸能界に」『週刊平凡』1975年10月23日号(通巻843号)151頁、平凡出版
  6. ^ 丘さとみ 再婚相手は焼き鳥屋で知り合った年下の司法書士”. NEWSポストセブン (2010年9月30日). 2024年8月2日閲覧。

参考文献

  • 「丘さとみ 東映のお姫様」(さとみ倶楽部/編、ワイズ出版