ちゃんばらグラフィティー 斬る!

ちゃんばらグラフィティー 斬る!
監督 浦谷年良
製作総指揮 佐々木嗣郎
佐藤雅夫
豊島泉
尼子創一
音楽 宇崎竜童
主題歌 『ちゃんばらロックンロール』
『アーリータイムス・ジャンクション』
編集 鈴木宏始
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1981年4月11日
上映時間 96分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

ちゃんばらグラフィティー 斬る!』(-きる)は、1981年昭和56年)製作・公開、日本の長篇アンソロジー映画である。

概要

東映が1951年(昭和26年)の創立以来30周年を迎えたことを記念して製作[1][2]片岡千恵蔵市川右太衛門萬屋錦之介大川橋蔵のインタビューを織り交ぜながら[1]、東映の昔のチャンバラ映画を集めて分類し再構成した映画[3]。本作のプロデューサー・東映の豊島泉は「僕だけで200本くらい見たけど、やっぱり一番フューチャーしたかったのは沢島忠監督やったね。ずば抜けて面白かった。沢忠さんというのは、日本映画史の中からすごく欠落している人なんやな。誰かちゃんと評価せんともう忘れ去られると思う。僕らの世代がギリギリ子どものとき見た世代やし。今見てもその感覚は今的やもんな」などと1985年のインタビューで述べていた[3]

1972年(昭和47年)に劇場用映画の監督を引退したマキノ雅弘は、引退後、テレビ映画の監督を同名義で行っていたが、本作の総監修を機に「マキノ雅裕」と表記を改名した。

製作

東映は1978年(昭和53年)の『柳生一族の陰謀』の大ヒットで、時代劇復興かと期待させ、以降、立て続けに時代劇大作を連打したが、いま一つファンを吸収しきれなかった[2]。それは権力闘争の駆け引きをテーマにして、チャンバラの醍醐味を忘れたからとの反省がなされ、そこから本作の企画が挙がった[2]。昔のファンにとっては懐かしの名場面、若い層には幻の伝説になっている黄金期の東映時代劇をアンソロジーとして再編集し、チャンバラ映画、娯楽時代劇の良さを再確認しようという狙いだった[2]

監督の浦谷年良テレビマンユニオンの社員ディレクターで、マキノ雅裕の自伝的ドキュメンタリーあゝにっぽん活動大写真』(1978年TBS系列)で演出を手掛けるなど[2][4]、元々、映画監督になりたかった人で、マキノの最後の弟子を自称[4]、東映に「東映スタッフより東映に詳しい」と言われた東映時代劇の熱烈なファンであった[2][4]。この浦谷が1978年の『柳生一族の陰謀』がヒットした時、今回と同じような「チャンバラ大全集」を企画し、日本テレビに売り込んでいた[2]。本作で選んだ作品は全て浦谷がピックアップしたもので[2]、構成・編集も浦谷が行った[2]。つまり作品の選別過程で東映の協力を要したのは勿論だが、ほとんど浦谷一人で作った作品と見られる。総監修名義のマキノ雅弘も、制作には全く関わっていないのかも知れない。読売新聞1980年10月21日の記事では「狂言回し桂三枝を予定している」と書かれている[2]

スタッフ

  • 音楽監督 : 宇崎竜童
  • 音楽プロデューサー : 高桑忠男
  • 主題歌 : 『ちゃんばらロックンロール』『アーリータイムス・ジャンクション』
    作詞 : 島武実、作曲 : 宇崎竜童、演奏 : 子供ばんど

引用作品

キャスト

登場順

同時上映

仕掛人梅安

  1. ^ a b #外部リンク、「ちゃんばらグラフィティー 斬る!」、キネマ旬報、2009年11月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j “〔芸能〕 懐かしの東映時代劇総集編 ―ちゃんばらグラフィティー 斬る!― 名場面をピックアップ 『笛吹童子』から『柳生一族の陰謀』まで”. 読売新聞夕刊 (東京: 読売新聞社): p. 11. (1980年10月21日) 
  3. ^ a b 土屋茂「映画の仕事Vol.8 プロデューサーの巻・後篇 ゲスト豊島泉」『プレイガイドジャーナル』1985年11月号、プレイガイドジャーナル社、33頁。 
  4. ^ a b c スタジオポノック 公式ブログ - <悲惨日誌 第112回> 2011年2月7日~2月スタジオポノック 公式ブログ

外部リンク