三田 寛子(みた ひろこ、1966年〈昭和41年〉1月27日[1][2] - )は、日本のタレント、女優、歌手である。夫は歌舞伎役者の八代目中村芝翫[1]。デビュー当時はスターダストプロモーションに所属、現在はプントリネア所属。株式会社BSフジ放送番組審議会委員。
京都市下京区の出身で実家は染物屋[3]。東京都立代々木高等学校に入学したが、単位不足のため明治大学付属中野高校定時制に転校、同校卒業。 クラスメイトには中森明菜、本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和らがいる。
1980年に雑誌『セブンティーン』のモデルに応募し合格、これがきっかけで上京[4]。同年10月、ソニーのカセットデッキのCMへの出演を経て、1981年にTBSのドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー[1](生徒・高坂ひとみ役)。
本名ではイメージが堅いとして芸名を付けることになり[5]、ある日当時の所属事務所の社長が渋谷の青山学院大学の横を歩いていた時にふと「慶應があるのは三田だったな」といった話題になり[注釈 1]、その時一緒にいた酒井政利が「これで行こう」と反応して三田で決まり、これに三田の名字とのバランスから姓名判断で下の名前は寛子となって芸名が決定した[5]。
翌1982年3月21日、CBS・ソニーより、南沙織、山口百恵など300人あまりのアイドルやアーティストを送り出した酒井政利プロデュースにて「駈けてきた処女」(作詞:阿木燿子、作曲:井上陽水)で歌手デビュー。同期デビューは早見優、松本伊代、石川秀美、小泉今日子、堀ちえみ、中森明菜、シブがき隊など「花の82年組」と呼ばれた面々。
その後『笑っていいとも!』(フジテレビ)の「寛子のおかし大好き」のコーナーでのいわゆる「天然ボケ」キャラクターでブレイクする。NHK教育『YOU』の司会などを務めたほか、女優としても多くのドラマに出演した。
1991年に中村芝翫(歌舞伎の三代目中村橋之助)と結婚[1][6]。
第一子を流産した後、将来の歌舞伎役者となる男児を3人、中村橋之助、中村福之助、中村歌之助をもうける。その後は「4人の歌舞伎役者」を抱える“梨園の妻業”が生活の中心となったが、「主婦タレント」「元アイドル」としてメディアに登場している。
2023年8月5日に父が逝去。母も既に亡くしている[7]。