三好十郎
三好 十郎(みよし じゅうろう、1902年4月23日[1] - 1958年12月16日)は、昭和初期から終戦後の復興期にかけて活動した劇作家、詩人、小説家。 来歴佐賀県佐賀市八戸町生まれ。戸籍上は父の兄の子で、旧姓は森。孤児として育つ。4歳で三好家の養子になり、12歳で両親と育ててくれた祖母を失う。佐賀中学校を経て、早稲田大学英文科卒業。早稲田大学在学中の1924年(大正13年)に「早稲田文学」に詩「雨夜三曲」など五篇を発表してデビュー。サンジカリズムからマルクス主義に接近。壺井繁治らと左翼芸術同盟を結成し、ナップの下部組織プロット(日本プロレタリア劇場同盟)に属して、プロレタリア劇の作家として活動。その後、左翼的な活動に疑問を覚えたとしてプロットを離脱。PCL(東宝の前身の一つ)にシナリオライターとして4年間在籍した。 1928年9月20日、処女脚本『首を切るのは誰だ』を報知講堂、左翼劇場第2回公演で初演。1940年3月23日-4月11日、『浮標』を築地小劇場、新築地劇団で初演、『文学界』1940年6月号-8月号に戯曲として発表。転向期の作品として評価された。 戦後は、近代の既成文学全般への批判を貫き、無頼派の一人といわれる。進歩的文化人を痛罵した評論集『恐怖の季節』も話題を呼ぶ。 1948年(昭和23年)6月、『別冊人間』に「その人を知らず」を掲載。同月22日、三越劇場で同作品を初演[2]。 1951年(昭和26年)9月、雑誌『群像』にゴッホを描いた「炎の人」を発表、初演は9月16日-9月28日新橋演舞場、劇団民芸。10月-11月、12月三越劇場で再演。第3回読売文学賞戯曲賞を受賞した。ゴッホは徹頭徹尾「貧乏人の画家」であると評し、生涯愛した画家であった。 「彦六大いに笑ふ」「斬られの仙太」など映画化された作品も多く、1951年に東映で製作された『拳銃地獄』は三好の「肌の匂い」が原作である[3]。 1958年、肺結核で死去した。 2001年4月23日・24日、NHK教育テレビジョンにて「吉本隆明がいま語る・炎の人・三好十郎」が放映され、詩人・思想家・文芸批評家の吉本隆明と三月書房(京都市)の宍戸恭一らが三好十郎の生涯と作品を論じた。 著書
翻訳
註
関連項目
外部リンク
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