万平ホテル入口
コンベンションホール「ザ・ハッピーヴァレイ(The Happy Valley )」。名前の由来はホテル裏手にある別荘地「幸福の谷」[ 1] 。
万平ホテル (まんぺいホテル、MAMPEI HOTEL )は、長野県 北佐久郡 軽井沢町 にある老舗ホテル である。軽井沢万平ホテル とも呼ばれる。運営は森トラスト のグループ企業である株式会社万平ホテル 。
歴史
江戸時代 後期に、佐藤万右衛門が万平ホテルの前身となる旅籠 「亀屋」を旧軽井沢銀座 (現在の軽井沢郵便局付近)に開業。1886年 (明治 19年)、避暑地 としての軽井沢を、イギリス に気候・建物の雰囲気が似ていることもあり[ 2] 高く評価し、後に軽井沢を日本の代表的な避暑地 として世界に向けて紹介した聖公会 宣教師 アレキサンダー・クロフト・ショー と、その友人の東京帝国大学英語教師ジェームズ・メイン・ディクソン が休業状態に陥っていた亀屋を訪れた[ 3] ことがきっかけとなり、当時の亀屋の主人であった佐藤万平(初代)は、外国人に応対する技術や生活習慣を学んだ。それを反映させる形で1894年 (明治27年)に亀屋ホテルがオープン。現在はこの年に万平ホテル創業という位置付けがされている。
1902年 (明治35年)、ホテルを旧軽井沢銀座から桜の沢に移転した[ 3] 。また、名称を現在の「万平ホテル」にし、シャトー 風の外観を持った西洋建築のホテルを新築、本格的なホテル営業を開始した。1918年 (大正 7年)の初代佐藤万平死去後、万平の娘婿であり、万平と二人三脚でホテルを創り上げてきた佐藤国三郎が「二代目万平」を襲名。現在カフェテラス脇にある銅像は国三郎である。1936年 (昭和 11年)に西洋建築の本館が解体され、現在の本館アルプス館が完成。設計は日光金谷ホテル も手掛けた久米権九郎 [ 4] 、施工は井上組 である。ドイツ で確立した久米式耐震木構造のベースに、信州の民家風のデザインを取り入れた結果、スイス やドイツの山荘などに見られるハーフティンバー 風の外観となった[ 5] 。
1943年 (昭和18年)、太平洋戦争 に伴い、軽井沢が外国人の強制疎開地に指定されたことを受けて、開戦当時日本と交戦状態になかったソ連 とトルコ の大使館 が万平ホテルに疎開 。2年後の1945年 8月には、日本を占領下に置いた連合国 軍の1国であるアメリカ陸軍 第8軍 の接収により全館が営業を停止する。このとき、GHQ の要請で冬季営業が可能となるように改造を施し、連合国軍将校 向け宿泊基地としての機能を果たした。1952年 に、アメリカ陸軍による接収が解除され通常営業を再開した。
2000年代に入って、2006年 の毎日新聞社 主催・ヘリテージング100選 や、2007年 11月30日 、経済産業省 の近代化産業遺産 に認定されるなど、近代遺産としての評価を受けている。
2018年(平成30年)には万平ホテルアルプス館が登録有形文化財(建造物)に登録された[ 6] 。
2023年(令和5年)、創業130年となる2024年に向け大規模改修改築工事に着手[ 7] 。2023年1月4日から約1年半の営業休止期間を経て、2024 年8月16日ソフトオープン[ 8] 、2024 年10月2日グランドオープンした[ 9] 。この工事によりアルプス館が補強されたほか、鉄筋コンクリートの棟の改築や施設の追加が行われた一方、ザ・ハッピーヴァレィは解体・廃止された[ 10] 。
各国大使 ・公使 をはじめ、東郷平八郎 、室生犀星 、堀辰雄 、佐佐木信綱 、幸田延 、小泉信三 、田中耕太郎 、円地文子 、池波正太郎 、三島由紀夫 、辛格浩 、ウォルター・ウェストン 、カール・シャウプ 、ジョン・レノン 、秋篠宮家 など、多くの著名人が宿泊した。また歴代内閣総理大臣 ら政治家 たちの会談の場として使用されたり、芥川龍之介 、レオナール・フジタ [ 11] 、川口松太郎 、マイケル・オブ・ケント 王子が滞在中に立ち寄るなど、軽井沢に滞在した多くの著名人が訪れた。
軽井沢にゆかりのある作品の多くにこのホテルが登場しており、スタジオジブリ 映画『風立ちぬ 』に登場する「草軽ホテル」のモデルとなったことで知られる。
宿泊施設
木造建築のため全室禁煙となっている本館アルプス館をはじめ、ウスイ館、アタゴ館、コテージ(4名定員のファミリータイプ2棟と、2名定員のツインタイプ1棟)、コンベンションホール「ザ・ハッピーヴァレイ」から成る。その他に宴会場、会議室、売店、2面のテニスコート、レンタサイクル、100台収容可能の駐車場などを完備している。
また、館内には「万平ホテル史料室」がある。万平ホテル史料室には、ホテルの歴史に関する史料や調度品をはじめ、1964年東京オリンピック 委員会からの感謝状や、1972年 に当時日本の首相 であった田中角栄 と、アメリカ ・国家安全保障担当大統領補佐官 のヘンリー・キッシンジャー が会談の際に座った椅子、一家で避暑の定宿としていたジョン・レノンが気に入ったとされるピアノなどが展示されている。
「東急ハーヴェストクラブ軽井沢万平」営業当時のサイン(2005年9月撮影)
敷地内には東急リゾートサービス と提携し、万平ホテルが運営する全客室数22室の会員制リゾートホテル 「東急ハーヴェストクラブ 軽井沢万平」 があった。元々万平ホテル欅館として営業していた建物を利用して、1989年 7月14日 に開業した。万平ホテルとはホテル1階の通路で結ばれている。2009年 7月 「東急ハーヴェストクラブ軽井沢万平」の営業を終了。改装を加え、新たに万平ホテル「別館」として営業を開始。
料飲施設
メインダイニングルーム
昭和初期の風俗を描いたステンドグラスがはめられている。絵の作者は宇野澤秀夫 である[ 4] 。
萬山楼 - 中国料理
熊魚菴たん熊北店 - 京会席 ・鉄板焼
建物の「桧館」は三井十一家 のひとつ鳥居坂家(のちの永坂町家)の東京の邸宅の一部で、総ヒノキ 造りだった。大正時代 に移築され、万平ホテル日本館として利用されていたが、戦後進駐軍 に接収され、将校用のサービス施設として使われたのち、夏期別荘を経て、2002年よりレストラン施設として使われている。
割烹熊魚菴 - 日本料理
バー
カフェテラス
1976年 から4年間、避暑のために滞在していたジョン・レノン[ 12] は、オノ・ヨーコ と共にホテル1階のカフェテラスにて好物であるロイヤルミルクティー を注文したが、当時のメニューにはなかった。しかしその作り方をジョン自身が直伝し、以来ロイヤルミルクティー(John's favorite royal milktea )がメニューに存在している[ 13] [ 14] が、現在はそのミルクティーに生クリームを加えたものを提供している[ 15] 。また、ジョン・レノン・ミュージアム 内にあった「ジョン・レノン・ミュージアム・カフェ」は万平ホテルが運営していた(2006年3月31日に閉店し、跡地は図書館になっている)。
沿革
万平ホテル
江戸時代 後期 - 旅籠「亀屋」として開業。
1894年 (明治27年) - 亀屋をホテルに改装。「亀屋ホテル」へ改称、創業。
1896年 (明治29年) - 名称を亀屋ホテルから「萬平ホテル」に改める。
1902年 (明治35年) - 桜の沢に移転新築。名称は萬平ホテルから「万平ホテル」になる。
1925年 (大正14年) - 株式会社国際観光ホテルとして法人を設立。
1936年 (昭和11年) - 本館解体後、本館アルプス館完成。
1963年 (昭和34年) - 欅館(現在の別館)新築。
1970年 (昭和45年) - アサマ(浅間)館(会議室・桜の間)新築。
1975年 (昭和50年) - アタゴ(愛宕)館改築。
1990年 (平成2年) - 株式会社万平ホテルに社名変更。
1997年 (平成9年)2月 - 森ビル開発株式会社(現在の森トラスト株式会社 )が資本・経営参加を開始。
1999年 (平成11年) - コテージ3棟「八ヶ岳」「白馬」「上高地」新築。
2001年 (平成13年) - ウスイ(碓氷)館を全面改築。
2004年 (平成16年) - 万平ホテル史料室オープン。
2009年 (平成21年) - 東急ハーヴェストクラブ軽井沢万平の営業を終了、改装を加え「万平ホテル 別館」として営業開始。
2023年 (令和5年) - リニューアルのため営業休止
2024年 (令和6年) - リニューアルオープン
万平ホテル以外の株式会社万平ホテルが運営したホテル
1927年 (昭和2年) - 熱海万平ホテル開業。
1931年 (昭和6年) - 東京万平ホテル開業。
1932年 (昭和7年) - 八洲ホテル(後のホテルヤシマ)開業。
1933年 (昭和8年) - 名古屋万平ホテル開業。
1937年 (昭和12年) - 名古屋万平ホテル譲渡。
1939年 (昭和14年) - 東京万平ホテル閉鎖。
1944年 (昭和19年) - 熱海万平ホテル閉鎖。後に東京鉄道病院に売却。
1945年 (昭和20年)3月19日 - 空襲 により、名古屋万平ホテル焼失。
1957年 (昭和32年) - ホテルヤシマ閉鎖。
万平ホテルアルプス館
万平ホテルアルプス館は1936年(昭和11年)に建築された木造三階建、金属板葺の建物[ 6] 。2018年(平成30年)11月2日に登録有形文化財(建造物)に登録された[ 6] 。
幸福の谷
Happy Valley(幸福の谷)
ホテル裏手には、かつて宣教師たちがその美しさに感激して「Happy Valley(幸福の谷)」と名づけた古い別荘地がある。この小さな谷間には苔むした古い石垣と石畳の道が伸びており、三笠通り や細川侯爵 邸の桂 並木などとともに、軽井沢の写真素材によく使われる景勝地となっている。名前の由来は、イギリスの作家ダフニ・デュ・モーリエ の小説『幸福の谷』(1932年)や『レベッカ 』(1938年)に登場する、コーンウォール 地方にある苔むした美しい散歩道「幸福の谷(Happy Valley)」と考えられている。地元では古くから「桜の沢」とも呼ばれている。
この別荘地には、川端康成 、エドウィン・O・ライシャワー 、ジョン・レノン &オノ・ヨーコ 夫妻らの別荘があった。また堀辰雄 の小説『風立ちぬ 』の最終章「死のかげの谷」の舞台にもなった。
関連項目
ショー記念礼拝堂
歴史 の項で触れた、宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー が設立した万平ホテル公式ホームページに掲載されている挙式場の一つ。同じくホームページに掲載されている挙式場である聖パウロカトリック教会 、諏訪神社 と共に挙式場予約やホテルからの送迎が可能である。
近隣施設であり、ホテル建設にあたっての工事監督を佐藤万平が、施工主は当時の万平ホテルと同じ小林代造がそれぞれ務めた。
ウィキメディア・コモンズには、
万平ホテル に関連するカテゴリがあります。
脚注
外部リンク