国家安全保障問題担当大統領補佐官(こっかあんぜんほしょうもんだいたんとうだいとうりょうほさかん、英: Assistant to the President for National Security Affairs)は、アメリカ合衆国大統領に対して国防や外交全般にわたって幅広い助言や政策立案を行う補佐官の正式名称。通常は英語では「National Security Advisor」、日本語では国家安全保障担当補佐官と略して呼ぶことが多い。
概要
国家安全保障問題担当大統領補佐官の職務は1953年に当時の大統領のドワイト・D・アイゼンハワーが創始したもので、アイゼンハワーは米国の外交政策あるいは特定地域における政策の立案を必要としたためであったといわれている[1]。
補佐官という肩書きではあるが、政権内の国家安全保障担当職としては閣僚である国務長官や国防長官と並ぶ、合衆国政府の最重要ポストの1つである。国務長官は外交を統括する筆頭閣僚[2]であり、国防長官は膨大な予算・武装兵力・強力な情報機関(アメリカ国防情報局・アメリカ国家安全保障局・アメリカ国家偵察局)をにぎる重要閣僚である。補佐官は大統領と毎日接し、政策を提言するなど政策決定に大きな役割を占めている[3]。
このため、補佐官時代は国務長官をないがしろにし、後に国務長官に任命された者(キッシンジャー(最初は補佐官兼務)、パウエル、ライス)や国防長官に任命された者(カールッチ)、国務長官と政策上の対立を起こしたもの(ブレジンスキー)など[4]、その顔ぶれには大物が名を連ねており、補佐官と権益上の結びつきを持つ者の意向を受けて大統領府を監視することも[要出典]、また、その執政に影響を与える事も可能な状況になっている。カーター政権において、国家安全保障問題担当大統領補佐官のブレジンスキーはカーター大統領の隣の部屋で執務していたが、国務長官はホワイトハウスから1マイル離れた国務省に執務室があることが影響していたといわれている[4]。
補佐官の地位を高めたのは(ケネディ暗殺事件後の)マクジョージ・バンディだと言われる[要出典]。(事件の結果。リンドン・ジョンソン大統領が補佐官への依存を深めた状況を利用し)それまでの従属的地位からアメリカの政策決定の中心になるようにした。しかし、それによってその補佐官と個人的なつながりのある利益団体や政治組織が補佐官を通じて議会の制約を受けることなく合衆国の政治に影響を与える事が容易な状況となっている[要出典]。ところがデストラー博士によれば、バンディは権力をきわめて穏当な方法で使用しており、影響力の源泉は人々とのつながりにあると説明している[1]。
職務
- 国防・外交問題の大統領最高顧問
- 国家安全保障会議事務局を担当する大統領直属スタッフ (事務局長は別にいる)
- 最高政策文書「国家安全保障決定覚書」 (NSDM) の発行責任者
- 情報工作命令「国家安全保障情報指令」 (NSCIDs ノンスキッズ) の発行責任者
歴代国家安全保障問題担当補佐官
注:ロストウまでは特別補佐官、キッシンジャーから補佐官となる。
脚注
出典
関連項目
外部リンク