七二会

七二会
なにあい
日章旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
自治体 長野市
旧自治体 七二会村
面積
16.40km²
総人口
1,336
住民基本台帳、2023年3月1日現在)
人口密度
81.46人/km²
隣接地区 芋井地区小田切地区篠ノ井地域戸隠地域中条地域信更地域
長野市役所七二会支所
北緯36度37分39.1秒 東経138度4分39.8秒 / 北緯36.627528度 東経138.077722度 / 36.627528; 138.077722座標: 北緯36度37分39.1秒 東経138度4分39.8秒 / 北緯36.627528度 東経138.077722度 / 36.627528; 138.077722
所在地 〒381-3161
長野県長野市七二会丁2373
リンク 七二会支所公式ページ
七二会の位置(長野県内)
七二会
七二会
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七二会(なにあい)は、長野市大字かつ地域。本項ではかつて概ね同地域に所在した上水内郡七二会村(なにあいむら)についても述べる。

概要

長野市の西部に位置し、南に犀川が流れ、北の陣場平山までの傾斜地に集落が点在している中山間地に位置する。犀川沿いには国道19号が通り、県道長野大町線が分岐している。南北には県道戸隠篠井線が通り、中腹には県道小川長野線が東西に貫通している。犀川には笹平ダムがある[1]

中世は春日氏の所領であったといわれ、近世は松代藩領だった。当時は、戸隠松代を結ぶ松代往来道が地蔵峠を通り、笹平には舟渡があった。国道19号も1985年昭和60年)の大安寺橋の改築をはじめ、1995年平成7年)の明治橋の改築、1997年(平成9年)の笹平トンネルの開通などの改良により、さらに交通の要所となっている[1]

村名「七二会」の由来は、1876年(明治9年)に、7か村と枝村の2か村が合併した意味を込めて、「七二会」と命名された[1]

人口

地域内の人口(長野市役所七二会支所管内)は692世帯 1,336人(令和5年3月1日時点)[2]

以下の1889年1990年は『長野市誌 第8巻』[3]に、2000年~は住民基本台帳の各年1月1日時点のデータ[2]に基づく。

七二会地区は純農村であったため、農業の盛衰がそのまま人口の増減に反映されやすい。1915年に人口はピークを迎え、高度経済成長期には若者の農業離れと核家族化が進行し、人口は徐々に減少に向かった[3]。近年、そのスピードは加速し、過疎化が進行している。

1950年(昭和25年) 4,911人
1960年(昭和35年) 4,419人
1970年(昭和45年) 3,571人
1980年(昭和55年) 2,995人
1990年(平成2年) 2,866人
2000年(平成12年) 2,521人
2010年(平成22年) 2,010人
2020年(令和2年) 1,465人
長野市 / 推計人口

地理

山岳

  • 陣場平山

河川

沿革

なにあいむら
七二会村
廃止日 1966年10月16日
廃止理由 新設合併
長野市、篠ノ井市上水内郡七二会村更級郡川中島町信更村更北村埴科郡松代町上高井郡若穂町長野市
現在の自治体 長野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
上水内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 16.41 km2.
総人口 3,962
国勢調査1965年
隣接自治体 長野市、篠ノ井市、上水内郡戸隠村中条村、更級郡信更村
七二会村役場
所在地 長野県上水内郡七二会村
座標 北緯36度37分39.2秒 東経138度4分39.8秒 / 北緯36.627556度 東経138.077722度 / 36.627556; 138.077722 (七二会村)
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交通

道路

脚注

  1. ^ a b c 『ながの市完全読本』NAGANO検定実行委員会、2018年、191頁。 
  2. ^ a b 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月25日閲覧。
  3. ^ a b 『長野市誌 第8巻』東京法令出版、1997年10月16日、801,802頁。 

参考文献

外部サイト