一宮町(いちのみやちょう)は、兵庫県の中西部にあった町。宍粟郡に属した。
2005年4月1日、山崎町・一宮町・波賀町・千種町が合併して宍粟市となったため消滅した[1]。現在、旧町域は「宍粟市一宮町○○」の町丁名になっている[2]。
町名は播磨国一宮・伊和神社に由来する。なお、兵庫県には津名郡にも一宮町があったが(現・淡路市)、こちらは淡路国一ノ宮・伊弉諾神宮にちなむ。
地理
西播磨を南流する揖保川上流に位置し、兵庫県宍粟郡の最も山深い地域である。
隣接していた自治体
歴史
- 古代の播磨国宍粟郡の地であり、町内の須行名(すぎょうめ)には式内大社・伊和神社が鎮座する。伊和神社は播磨国一宮であり、町名の由来となった。『播磨国風土記』によれば、伊和大神は揖保川流域を中心に西播磨一帯を支配した大勢力が尊崇した神のようである。中世には播磨国守護赤松氏歴代の尊崇と庇護を得た。
沿革
「昭和の大合併」において、町村合併促進法に基づき宍粟郡北部地域でも実態調査や住民に対する啓発等によって合併実現への努力が重ねられ、概ね5か村での合併に傾きつつあった。これに対し、兵庫県が当初策定した第一次合併計画では、将来の5か村合併を念頭に「神戸村・染河内村の2か村合併」と「下三方村・三方村・繁盛村の3か村合併」とする案が示されたが、これには各村所有財産の差異、地域の事情、住民感情等があって容易に進まなかった。対等の無条件合併の可能性があるのが「神戸村・染河内村・下三方村」の3か村だったため、北部2か村の同調を得ないまま第一次合併へと踏み切った。その後県の指導もあり、住民においても行財政力の強化のため合併へと前進し、世論の統一をみたので5か村による第二次合併が実現した[6]。
姉妹都市
国内
地域
人口
人口推移
緑色で示したものが、一宮町及び宍粟市一宮町の人口
また、一宮町発足以前における人口は、神戸村(青色で示す)、三方村(水色で示す)、下三方村(黄色で示す)、繁盛村(赤色で示す)、染河内村(桃色で示す)の人口の和で示している。
括弧内の数字は(神戸村、三方村、下三方村、繁盛村、染河内村)それぞれの人口を示す。
(なお、人口は国勢調査により各年10月1日時点のものである)
<参考 - #沿革>
1950年(昭和25年)
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15,806 (5,688、2,876、2,621、2,367、2,254)
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1955年(昭和30年)
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15,535 (5,590、2,812、2,559、2,338、2,236)
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1960年(昭和35年)
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14,407
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1965年(昭和40年)
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13,196
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1970年(昭和45年)
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12,440
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1975年(昭和50年)
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12,177
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1980年(昭和55年)
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12,215
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1985年(昭和60年)
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12,107
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1990年(平成2年)
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12,034
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1995年(平成7年)
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11,559
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2000年(平成12年)
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10,600
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2005年(平成17年)
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9,955
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教育
小学校
- 一宮町立神戸小学校
- 一宮町立下三方小学校
- 一宮町立染河内小学校
- 一宮町立繁盛小学校
- 一宮町立三方小学校
中学校
高等学校
交通
最寄の空港
鉄道路線
町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は、JR西日本姫新線播磨新宮駅。
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
その他
関連文献
脚注
- ^ “沿革”. 宍粟市 (2019年3月15日). 2023年12月10日閲覧。
- ^ “兵庫県 > 宍粟郡一宮町”. 日本郵便株式会社. 2023年12月10日閲覧。
- ^ a b 前身にあたる神戸村・染河内村・下三方村の人口を合計した数値
- ^ 三階校舎ひとのみ 救助隊、手つけられず『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月14日朝刊、13版、23面
- ^ 「一宮町史」p.661~662
- ^ “一宮町史:資料編”. 宍粟市 (2019年3月15日). 2023年12月10日閲覧。
- ^ “一宮町小字地名集”. 宍粟市 (2019年3月15日). 2023年12月10日閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク