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この項目では、競走馬について説明しています。その他の用法については「輪島」をご覧ください。 |
ワジマ(Wajima)は、
経歴
デビュー前
ワジマはケンタッキー州パリスにある、ブル・ハンコック(Arthur B. Hancock)が所有するクレイボーンファームで生まれた。父はアメリカの偉大な種牡馬ボールドルーラー、母イスクラはフランス産馬で、その父はフランスの名種牡馬ルアール(Le Haar)だった。1歳時に当時のレコードである60万ドル(2015年現在の320万ドル相当)で購入され[2]、ジェームズ・ウェルチ、ジェームズ・A・スカリー、ハロルド・I・シュナイダー、そして日本有数の生産者である吉田善哉の4人が共同で所有した[3]。馬名は日本の大相撲の力士である輪島大士にちなんで命名された。彼らはイーストウェストステーブルの名義でワジマを所有し、調教はステファン・A・ディマウロ(Stephen A. DiMauro)調教師が手がけた。
1974年(2歳時)
2歳時は4戦2勝。おもな戦績としては11月のローレルフューチュリティ(Laurel Futurity Stakes)でレコード勝ちしたランジョルール(L'Enjoleur)の2着に入ったことが挙げられる[4]。
1975年(3歳時)
シーズン序盤は脚部不安に苦しみ、アメリカクラシック三冠には出走できなかった。6月に復帰し、4戦した後、7月19日のボウル競馬場で行われた9ハロン戦のメリーランダーハンデキャップでステークス初勝利をコースレコードで飾った。ワジマはその後モンマスハンデキャップとトラヴァーズステークスなど、重要なステークス競走を4連勝した。ベルモント競馬場で行われたガヴァナーステークス(Governor Stakes)では、その年のケンタッキーダービー勝ち馬フーリッシュプレジャーに加え、前年の年度代表馬フォアゴーと後に殿堂入りを果たすエンシェントタイトル(Ancient Title)を破って勝利した[5]。ワジマの戦績で最も重要なレースとなった、9月13日にベルモント競馬場で行われた、10ハロン戦のマールボロカップで再びフォアゴーを破って勝利。ニューヨーク・タイムズは“Wajima Now Rated A $600,000 Bargain(今のワジマなら60万ドルはお買い得)”と題した記事を掲載した[6]。
9月の終わりにはワジマに当時の世界記録となる720万ドル(現在の3170万ドル相当)でシンジケートが組まれた。レスリー・コームズ2世(Leslie Combs II)が主催したシンジケートは1株あたり20万ドル、合計36株で構成され、共同オーナーの4人がそのうち21株を保有した[7]。その他のシンジケート株購入者には、カーディフスタッドファーム、ジョン・C・メイビー(John C. Mabee)、アーロン・U・ジョーンズ、ジョージ・R・ガーディナー(George R. Gardiner)、ロバート・サングスター(Robert Sangster)、バートラム&ダイアナ・ファイアーストーン(Bertram and Diana Firestone)といった、アメリカや世界の著名な生産者が含まれていた[8]。
ワジマはその後9月27日のウッドワードステークス、10月25日のジョッキークラブゴールドカップで2着となり、11月上旬にオーナーから引退が発表された。年末にはその年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出された。
引退後
ワジマはケンタッキー州レキシントンにあるレスリー・コームズ2世が所有していたスペンドスリフトファームで種牡馬入りした。17世代の産駒からは4頭のグレード競走勝ち馬を含む26頭のステークスウィナーを送り出すにとどまり、種牡馬成績は多大な期待には遠く及ばないものだった。代表産駒には、カナダのクイーンズプレートとアメリカの重賞に勝利し、1984年のカナダ最優秀3歳牡馬となったキートゥザムーン(Key to the Moon)が挙げられる。
1987年にケンタッキー州パリスのストーンファーム(Stone Farm)へ移動。1992年に種牡馬を引退し、2001年8月27日に老衰のため安楽死の処置がとられた。遺体はストーンファームに埋葬された[9]。
血統表
脚注
参考