ムムタズマハル (Mumtaz Mahal) はイギリス (出生当時はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国) の競走馬。愛称は「マムティ」。2歳牝馬として驚異的なスピードを示し「Flying Filly」とも呼ばれた。繁殖牝馬としても娘の産駒に活躍馬が多数出て、母レディジョセフィン、姉レディジュラーとともに名牝系を作り上げた。馬名はムガル帝国第5代皇帝・シャー・ジャハーンの第一王妃ムムターズ・マハルが由来。
ムムタズマハルは父ザテトラークから優れたスピードと、父と同じ毛色(芦毛にベンドア斑)を受け継ぎこの世に生を受けた。父とは違いすばらしい馬体だったため、1歳時のセリで後の大馬産家アーガー・ハーン3世に9100ギニーという当時としては2番目に高い価格で購入されている。
2歳時の調教で既に高いスピードを示し、調教の試走(5ハロン≒1 km)ではフライアーズドウター(英クラシック三冠馬バーラムの母)に半ハロン(約100メートル)もの差を開いて先着した。1923年5月16日のスプリングステークス(ニューマーケット競馬場)でデビューすると、楽に流して後のオークス優勝馬ストレイスレース相手に楽勝した。続いて出走したロイヤルアスコット開催のクイーンメアリーステークスでは10馬身差を記録し、ナショナルブリーダーズプロデュースステークスを4馬身、モールコームステークスを10馬身、シャンペンステークスを3馬身と無敵の5連勝を飾った。しかし、インペリアルプロデュースステークスでは調子を崩し、アーケード (Arcade) を相手に初の敗戦を喫してしまった。
それでも3歳の復帰戦1000ギニーでは圧倒的な一番人気に押された。しかし初のマイル戦でスタミナが切れゴール前失速、プラックの2着に敗れた。次走のコロネーションステークスでも距離が長く5着に敗れている。結局1マイル以上の距離では勝てなかった。その後6ハロンのキングジョージステークスとナンソープステークスを連勝し引退した。
現役時代の総評としては先細りの早熟のスプリンターだったが、Flying Fillyの名に相応しく2歳時に見せたスピードは驚異的であったと伝えられている。
引退後はアーガー・ハーン3世のシェシューン牧場で繁殖牝馬となった。Milzaはジュライカップを勝ち、Badruddinはサセックスステークスを勝った。繁殖牝馬となったMumtaz Begum、Mah Mahal、Rustom Mahalを経由してムムタズマハルのファミリーラインは発展している。牝系子孫は、海外ではナスルーラやロイヤルチャージャー、マームード、ミゴリ、アバーナントなどで、日本ではホクトベガやタニノギムレット、スマートファルコン、タイトルホルダーなどがいる(ナスルーラはMumtaz Begumの直仔)。
ムムタズマハルはその後フランスに移されたが第二次世界大戦によりドイツに接収された。ドイツ占領下で1943 - 1944年ごろに死亡したようである。
牝系図の主要な部分(G1競走優勝馬、日本の重賞馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。
牝系図の出典:galopp-sieger.de