ザクセン=マイニンゲン公爵家家長ゲオルクとその妻のクララ=マリー・フォン・コルフ女伯爵(Klara-Marie Gräfin von Korff genannt Schmising-Kerssenbrock, 1895年 - 1992年)の間の第4子、次女として生まれた。マイニンゲン公爵家は福音派教会の信徒だったが、レギーナは母親と同じくカトリック信徒として育てられた。テューリンゲン南部のヘルトブルク(ドイツ語版)で育ったが、第二次世界大戦後、赤軍の侵攻を逃れて母と2人で西ドイツに亡命した。従軍していた父は1946年に抑留されていたソ連の捕虜収容所で死亡した。1949年、ドイツ・カリタス連盟(ドイツ語版)が経営するミュンヘンのハンガリー人難民のための慈善施設で働いていた時に、オーストリア元皇太子オットーと知り合った[1]。