本作品はウルビーノ公爵フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレが1536年5月の手紙で言及した「青いドレスを着た女性の肖像画」と考えられている[2][4]。女性のファッションの様式がちょうど当時のものと一致していることがそれを裏付けている[5]。モデルとなった女性はウフィツィ美術館の『ウルビーノのヴィーナス』をはじめ、美術史美術館の『毛皮を着た若い女性』(Girl in a Fur)やエルミタージュ美術館の『羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像』(Portrait of a young woman with a feather hat)の女性像と同一人物と思われる[4][5]。この女性を特定しようとする美術史家の多くの試みにもかかわらず、いまなおモデルが誰なのか研究者の間で合意がなされていない。かつてはパルマ・イル・ヴェッキオの娘でティツィアーノの恋人とされたヴィオランテ(Violante)と言われていた[5]。1534年から1536年にかけて描かれたことが知られているイザベラ・デステ、あるいはウルビーノ公爵の妻エレオノーラ・ゴンザーガの肖像画という説は放棄されている。もしエレオノーラであったならばフランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレは手紙の中で「女性」という曖昧な言葉を使わなかったはずである。実際に本作品のすぐ後に描かれたエレオノーラの肖像画は、成熟した年齢と地位にふさわしい姿で描かれている[5]。女性の肖像画というよりはむしろルネサンス期のイタリアの宮廷で人気があったテーマである理想の女性美として描かれた可能性もある[2][4]。シェイラ・ヘイル(Sheila Hale)は画家と食事をしたことが知られている高級娼婦アンジェラ・デル・モーロ(Angela del Moro)と同一視している[4]。