ユリア・マエサ(ラテン語: Julia Maesa, 165年5月7日 - 224年8月3日)は、古代ローマの人物[1]。ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの妻であるユリア・ドムナの姉。孫にはヘリオガバルスとアレクサンデル・セウェルスがいる。
生涯
エル・ガバルの神官ユリウス・バッシアヌスの娘として生まれた。ユリウス・アウィトゥスと結婚し、以下の2女を儲けた。
218年に、娘ユリア・ソアエミアスの愛人ガンニュスにより14歳の孫ヘリオガバルスが皇帝位に即けられると、ユリア・ソアエミアスとともに権力を握った。ヘリオガバルスが222年に暗殺されると、前年にヘリオガバルスの養子となっていたもう一人の孫アレクサンデル・セウェルスが皇帝とされ、引き続きユリア・マエサはアレクサンデル・セウェルスの母ユリア・ママエアとともに実権を握った。224年に死去した。
死後
マエサの血筋はヘリオガバルス、アレクサンデル・セウェルスに子女が無かったことから、235年のアレクサンデル・セウェルスの死によって断絶。セウェルス朝による支配も終焉を迎え、ローマ帝国は238年の内戦を皮切りに3世紀の危機に突入する。
家系図
脚注
- ^ Shahid, Irfan (1984). Rome and The Arabs: A Prolegomenon to the Study of Byzantium and the Arabs
参考文献
ウィキメディア・コモンズには、
ユリア・マエサに関連するカテゴリがあります。
- 青柳正規 監修 『ローマ皇帝歴代誌』 創元社、1998年