ヤシカのカメラ製品一覧(やしかのかめらせいひんいちらん)はヤシカのカメラ製品の一覧。前身である八洲精機( - 1953年)、八洲光学精機(1953年 - 1958年)の製品、ヤシカを吸収合併した京セラ(1983年 - )のカメラ製品を含む。ヤシカと京セラのコンタックスブランドのカメラ製品は、コンタックスを参照。
6×6cm判二眼レフ。機種は多種で、「Yashicaflex」銘板のみ記された機種が多く機種特定が難しい。
4×4cm判二眼レフ。
レンズマウントはライカLマウント。
交換レンズに関してはライカマウントレンズの一覧#ヤシカ参照。
ヤシカ最初の35mmレンズシャッター式レンジファインダーカメラシリーズ。
ライトバリュー式の露出調節方式が特徴の非連動露出計搭載の高級シリーズ。非連動露出計ではあるが、ライトバリュー露出計と機体の操作方法を理解すると「プログラム露出」と同等のコントロールが可能である。
連動露出計を搭載した最高級シリーズ。当時レンズシャッターとしては最高速のシャッター速度1/1000秒で、F1.8の明るいレンズを搭載している。
普及シリーズ。
AG-1閃光電球ソケットを内蔵し、フラッシュ撮影に特化した固定焦点・簡易EEカメラ。
ハーフ判のシリーズ。距離計がないので、厳密にはレンジファインダーカメラではない。
「ろうそく1本の光でも写る」カメラを目指し、長時間露出性能の高い電子シャッター使用の絞り優先EEを採用したライカ判EEカメラで、初期はキヤノンの「キヤノネット」などシャッター速度優先EEカメラ、中期以降は小西六写真工業の「コニカC35」シリーズなどコンパクトなEEカメラが事実上のライバル機となった。自動露出機能を持ったEEカメラブームの中で初めて積極的に電池電源を活用した設計を採用。機構の簡略化と信頼性の向上を実現し、世界で約500万台を販売した。F1.7の大口径レンズ「ヤシノンDX/カラーヤシノンDX」と、2分という長時間露光から1/500秒の高速シャッター秒時まで備えるコパル製「コパルエレク」電子シャッターを搭載、暗い場所での撮影を得意とした。機体デザインはGKインダストリアル研究所。「落としても壊れない」がキャッチフレーズで、牛山善政社長自らテレビに出演してカメラを落として見せるパフォーマンスを披露し話題を呼んだ。電池はこのカメラのために作らせたといわれる、高電圧を出せるHM-4N積層水銀電池を使用。
コンパクトカメラが一気に普及してカメラはより小さいものが好まれるようになり、さらにコニカC35EFの登場から、明るい大きなレンズは姿を消し、暗い場所でも失敗なく撮影できるエレクトロニックフラッシュがカメラに内蔵されることはもはや当たり前になった。操作も簡便なものが好まれるようになり、レンジファインダーからゾーンフォーカスが主流に替わった。
ヤシカMG-1までの金属製コンパクトEEカメラ期から一転し、ヤシカエレクトロ35時代から引き続き小西六写真工業(現コニカミノルタホールディングス)に対抗する形でプラスチック機体のオートフォーカス時代に突入した最初のシリーズ。
ヤシカオートフォーカスシリーズをベースにカール・ツァイスのテッサー、バリオテッサーレンズを搭載した高級版後継シリーズ。手軽さとレンズの良さが評価され、京セラのカメラ事業末期まで生産が続いた。
EEカメラ全盛期に一般的だったハーフ判を久々に採用したオートフォーカスカメラで、コンパクトカメラながら一眼レフ構造を持つ「ブリッジカメラ」の一つ。右手で握るビデオカメラ風の独特の形態と坂本龍一や郷ひろみが出演したTVCMで話題を呼び、左利き用のモデルも並行販売した。明快な操作性が評価され、厳しい商品テストで知られる総合生活雑誌「暮しの手帖」が「オリンパスペンEE-3」以来の使いやすいコンパクトカメラとして推奨した。「サムライビデオ8」なる、8mmビデオムービーを発売したこともあった。ソニーの8ミリビデオの大ヒット商品であるハンディカムTR55等のOEM[2]。
京セラ/ヤシカTシリーズから派生の中級機種。
海外では主にMinitecシリーズで展開
海外では主にMicrotec、Micro Eliteのシリーズ名で展開
ズームメイト (Zoomate ) シリーズから、国内でもヤシカブランドが復活した。販売地域によってラインナップが異なる。国内のキャンパス・シリーズの一部モデルが海外ではズームメイト・シリーズに含まれている。更に一部のモデルはエリートズームシリーズとして複数のモデル名で販売されていた。
比較的レンズが明るい上位機種。一部の機種はウエスト電気(現パナソニック・フォトライティング)からのOEM。 海外ではズームテック(ZOOMTEC )以外に、EZ ZOOM、SENSATION ZOOM、IMAGE ZOOMと複数名で展開している。
ズームメイトシリーズの後継シリーズ。京セラ世代は国内ではEZ ZOOMとEZ 105 ZOOMの2機種のみ。 “EZ”シリーズはJNCデイタム・テック・インターナショナルが生産するフィルム・カメラやデジタル・カメラに継承されているが、京セラ製の“EZ”シリーズを基にする後継モデルはない。
専用の京セラAFマウントを採用。元々、オートフォーカスコンタックスマウントとなるはずの規格だったため、フランジバックはヤシカML/コンタックスRTSマウントと同一。オートフォーカステレコンバーター1.6倍を介するとヤシカコンタックスマウントのレンズが装着可能となり、「ツァイスのレンズでオートフォーカスができる」と話題になった。
国内向けは京セラブランド、海外向けはヤシカブランドで発売された。
一般カメラをベースにした医療[3]用マクロ専用カメラ。100mmF4はメディカル100シリーズと同じレンズを採用。レンズ先端に装着するテレコンバータ等のアクセサリもある。日本では一般市場では入手できなかったが、海外では一般カメラ店でも購入可能だった。
ソニーからのOEM供給を受け、京セラファインムービーFinemovieの名で8ミリビデオカメラおよびDVカメラの販売を行っていた。ソニーがビデオカメラにカール・ツァイスレンズを採用するようになった頃、撤退した。