モーターヘッド (英語: Motörhead) は、イングランドのロックバンド。
同国のミュージシャン レミー・キルミスターを中心に、同氏が亡くなるまで40年間活動した。HR/HMが確立する過渡期において、特にスラッシュ/ハードコアの分野に大きな影響を与えた。バンド名の由来は「ホークウインド」の同名の曲から。世界での売り上げ枚数は1500万枚を超えている。[2]
デビューから40年間一貫して、大音量かつハイスピードの爆走型ロックンロールをその音楽性の軸として活動しており、スラッシュメタル、ハードコア・パンクなどが出現する遥か以前から、それらの音楽性を包括するサウンドを展開してきた[3]。
商業的にも音楽的にもカテゴライズの困難なロックバンドのひとつであり、時代に応じてハードコア・パンク、ヘヴィメタルと、複数のカテゴリに横断的に分類された経緯がある。
創設者であり、モーターヘッドのスタイルを作り上げてきた中心人物であるレミーは、一貫してロックンロール・バンドであると主張しており、1987年のアルバム『Rock 'n' Roll』も意識して付けたタイトルだと述べている。また、世間一般がモーターヘッドのサウンドを「ヘヴィメタル」「スピードメタル」などにカテゴライズすることを好ましく思っておらず、「ヘヴィメタルよりむしろパンクの方により親近感が湧く」「ダムドとは共通の美意識を持っているが、ブラック・サバスや、増してやジューダス・プリーストにはそんなもの感じない」とも述べている[注釈 1][4][信頼性要検証]。
実際にレミーは、ラモーンズに曲を提供したり、ダムドとステージで共演している。ただし、ジャンルの垣根にこだわっている訳ではなく、オジー・オズボーンの『ノー・モア・ティアーズ』でオズボーンやザック・ワイルドと曲を共作したり、HR/HM系アーティスト達との共演も多い。
一時期4人編成(ツイン・ギター)だった時期もあるが、活動期間の大部分でギター、ベース、ドラムのトリオ編成を貫いている。活動の全期間在籍しているのはリーダーのレミーのみであり、実質的にレミーのバンドである。
レミーは1975年にホークウインドを解雇され、同年に自身のバンド「バスタード」を結成するが、その後「モーターヘッド」と改名した[1]。そして、ユナイテッド・アーティスツ・レコードとの契約を得て初のアルバムをレコーディングするが、当時はお蔵入りとなり、この時の録音はバンドのブレイク後の1979年に『オン・パロール』というタイトルで発売された[1]。バンドは最終的に、オリジナル・ギタリストのラリー・ウォリスの脱退を経て、1977年にチジック・レコードからデビュー・アルバム『モーターヘッド』を発表し、その後ブロンズ・レコードへ移籍する[1]。
"ファスト"・エディ・クラーク(ギター)、フィルシー・"アニマル"・テイラー(ドラム)を擁した1970年代後半から1980年代初頭が最初の黄金期で、その極めて個性的な音楽性にもかかわらず、『エース・オブ・スペーズ』(Ace of Spades)をはじめいくつかのアルバム、シングルをイギリスのトップ40チャートに送り込んでいる。特に1981年にリリースしたライブ盤『ノー・スリープ・ティル・ハマースミス』(No Sleep 'til Hammersmith) はこの時代の金字塔である[5]。
1982年に・エディ・クラークが脱退し、後任に元シン・リジィのブライアン・ロバートソンを迎えて『アナザー・パーフェクト・デイ』をリリースするが、メロディアスなフレーズを多用した作風は旧来のファンの失望を招く。レミーは素早くこの事態に対処し、ロバートソンに代えてフィル・キャンベル、ワーゼルを起用。バンド史上初の正式な4人編成となって、シングル『キルド・バイ・デス』、過去のベスト・トラックを収録したコンピレーション・アルバム『ノー・リモース』をリリースして体制を立て直す。
1986年には、当時のマネージャーだったダグ・スミスが設立したレコード会社、GWRへ移籍し、『オーガズマトロン』、翌1987年には『ロックンロール』を発表。この2作がアメリカでも高く評価されたことに加え、マネージャーのダグ・スミスがGWRの相談役に就任した経緯もあり、GWRを離れ、バンドは活動拠点をアメリカのロサンゼルスへ移すことを決意。1990年にレミーはロサンゼルスへ移住、同時にエピック・レコード傘下の新たなレーベル、WTGへと移籍し、1991年には、WTGへ移籍しての第1作となる『1916』を発表する。
その後は、何度かメンバーチェンジを繰り返しながらも一貫して従来のモーターヘッド・サウンドを守り通し、1995年からは再びトリオ編成に戻った(ギターは1984年に加入したフィル・キャンベル、ドラムは1992年の『マーチ・オア・ダイ』から参加するミッキー・ディー:元キング・ダイアモンド、ドッケン)。このラインナップはグループ史上最も長く続いており、1970年代から1980年代までの最初の黄金期を凌ぐ数の作品を発表し、精力的に活動を続けていた。
2015年11月11日、バンド初期の黄金時代を支えたフィル "アニマル" テイラーが死去[6]、同12月28日にはバンドの象徴であるリーダー、レミー・キルミスターが死去[7]。残されたメンバーは、ミッキー・ディーが代表しモーターヘッドの活動終了を宣言した[8]。
2018年1月、旧メンバー "ファスト" エディ・クラークが死去。これによりNWOBHM時代の全盛期メンバーは全て他界した[9]。
正式なロゴは motörhead と語頭の m も含めてすべて黒い小文字で表記され、2つ目の o にブルー・オイスター・カルトやモトリー・クルーが使用するようなウムラウト(メタル・ウムラウト)が添えられる(バンド名の発音には影響しない)
デビュー以来彼らのアルバムジャケット等さまざまな場所に登場する、牙をむいた豚(ウォー・ピッグ/スナグルトゥース)のキャラクターは、ホークウィンド時代からレミーと懇意だったデザイナー、ジョー・ペタグノがバンドのデビュー・アルバムのためにデザインしたものである[10][注釈 2]。オスの豚をベースにデザインされ、レミーのアイデアでヘルメット、チェーン、スパイクが加えられた。
このキャラクターは、アイアン・メイデンのエディ・ザ・ヘッドと同じように、様々なアレンジを施されてアルバム・カバーに登場する。『オーヴァーキル』では、内部から強烈な光を発するイメージで描かれ、『ボマー』ではメンバー3人が搭乗した爆撃機のボディにペイントされている。『アイアン・フィスト』のジャケットはイラストではなく3次元の立体的な拳のオブジェクトを作成して撮影したものだが、指にはめてある4つの指輪のひとつがウォー・ピッグになっている。
2001年1月、米国のプロレス団体WWE所属のトリプルHがファンであることから、彼の入場曲"The Game"を手掛けた。その後、新たに"King of Kings"、"Line in the Sand(トリプルHがリーダーを務めるユニットエボリューションの入場曲)"を手掛けており、ペイ・パー・ビューイベントレッスルマニアX-Sevenおよびレッスルマニア21に於いて入場曲を生演奏している。
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