|
この項目では、ウクライナ海軍のフリゲートについて説明しています。ロシア帝国海軍のフリゲートについては「ニコラーエフ (フリゲート)」をご覧ください。 |
U133 ムィコラーイウ(ミコライフとも[1];ウクライナ語:U133 Миколаївムィコラーイィウ)は、ウクライナ海軍のフリゲート(Фрегат)である。艦名は、ウクライナ南部の都市ムィコラーイウに由来する。ロシア語名ではニコラーエフ(Николаевニカラーイェフ)となる。
概要
ムィコラーイウは、1135号計画「ブレヴェースニク」型警備艦の19番艦ベズコリーズネンヌィイ(ロシア語:Безукоризненныйビズカリーズニェンヌィイ)として1977年5月16日付けでソ連海軍に登録された。艦名は、ロシア語で「非の打ち所のない、申し分のない」という意味の形容詞である。
1978年7月12日には、工場番号第15号艦としてウクライナ共和国・ケルチのB・Ye・ブートマ記念ザリーフ造船所第15工場で起工された。1979年6月3日に進水、同年12月29日に竣工してソ連海軍に編入された。海上公試ののち、1980年3月3日付けでセヴァストーポリを母港とする黒海艦隊に編入された。
1981年9月27日から10月2日にかけてはアルジェリアのジジェル、1987年3月26日から3月31日にかけてはトルコのイスタンブール、1991年8月15日から8月19日にかけてはルーマニアのコンスタンツァを訪問した。1985年6月10日から6月30日にかけては、ブルガリア海軍の警備艦とともに共同演習を行った。[2]
ソビエト連邦の崩壊後はロシア海軍黒海艦隊に編入された。1994年には、高水準の錬度に対する海軍司令官賞を獲得した。
1997年7月14日付けでロシア海軍を退役し、同年8月1日付けでウクライナ海軍へ編入された。南ウクライナの都市に因んでムィコラーイウと改称、艦番号はU133とされた。1997年9月8日にロシア海軍から除籍された。
その後、事実上ウクライナ海軍はムィコラーイウを予備艦としてセヴァストーポリ港に係留し続けた。最終的に艦は2001年に除籍され、解体された。
脚注
- ^ 表記についてはムィコラーイウ#名称を参照。
- ^ Вимпел / Походите на българските кораби в Средиземно море в състава на Обединените ескадри (ブルガリア語)
関連項目
外部リンク
画像ページ
解説ページ
大型対潜艦 |
---|
|
|
|
|
---|
57-A型 | |
---|
- ^ 1969年1月20日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1969年10月21日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1971年10月27日まで大型ミサイル艦。1992年6月1日から警備艦。
- ^ 1970年1月20日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1972年11月2日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1974年3月7日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1975年6月20日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1977年8月3日まで大型ミサイル艦。
|
|
|
|
|
|
|
|
---|
56-M型 | |
---|
56-U型 | |
---|
- ^ 1977年8月3日まで大型ミサイル艦。
- ^ 1973年1月26日までと1977年8月3日から大型ミサイル艦。
- ^ 1973年1月26日までと1977年6月28日から大型ミサイル艦。
- ^ 1977年2月1日までと1977年8月3日から大型ミサイル艦。
|
|
|
|
|
|
|