マティ・クラーワイン(Abdul Mati Klarwein、1932年4月9日 - 2002年3月7日)は、ハンブルク生まれの画家。ロック、ジャズのレコードのジャケットを数多く描いたことで知られる。
経歴
ヴァイマル共和国ハンブルク生まれ。父親はポーランド出身のユダヤ人の建築家、ヨーゼフ・クラーワイン(Joseph Klarwein)。母親のエルザはオペラ歌手だった。1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に就任。続いて3月23日にヒトラーは全権委任法を制定し、ヴァイマル共和国は崩壊。ナチスの台頭を恐れたクラーワイン一家はマティが2歳のときにイギリス委任統治領パレスチナに逃れた[1]。
1948年5月14日にイスラエルが建国されると、母とクラーワインはパリに旅立った[1]。1949年から1951年にかけてフェルナン・レジェに学び、エコール・デ・ボザールとアカデミー・ジュリアンに通った[2]。
1950年代後半、アラビア語で「召使い」を意味する「Abdul」を自らの名前に付けた[3]。1965年、フランス国籍を取得[4]。
1970年、2つのレコードに作品が起用されたことでクラーワインの名は広く一般に知れ渡った。ひとつは3月30日に発売されたマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』[5]の見開きジャケット(ゲートフォールド)[6]。もうひとつは9月に発売されたサンタナの『天の守護神』[7]のジャケットである。ただし後者は既製の作品で、1961年制作の『受胎告知(Annunciation)』が表のジャケット一面と裏のジャケット半面に使用された[8]。その後、多くのミュージシャンのレコードに関わることとなった。
2002年3月7日、スペインのマヨルカ島デイアの自宅でがんのため死去。69歳没。
主なレコードのジャケット
脚注
外部リンク