マサッチオまたはマザッチオ(伊: Masaccio[maˈzattʃo], 1401年12月21日 - 1428年[1])は、ルネサンス初期のイタリア人画家。フィレンツェ共和国のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれで、本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・シモーネ・カッサーイ (Tommaso di Ser Giovanni di Simone Cassai)。ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』によれば、まるで生きているかのように人物とその身体の動きを再現する能力と自然な三次元描写能力から、マサッチオが当時最高の画家であったとされている[2]。「マサッチオ」という愛称は本名の「トンマーゾ(Tommaso)」の短縮形「マーゾ(Maso)」からきており、「不恰好」あるいは「だらしない」男を意味する。このような愛称がつけられたのは、マサッチオの師ではないかともいわれている画家の名前もトンマーゾ(・ディ・クリストフォーロ・フィーニ)であり、同じく短縮形のマーゾからきた「小さな男」を意味するマソリーノと呼ばれていたことと区別するためと考えられている。
ルネサンス期の画家たちは、通常12歳くらいから師匠(マスター)に就いて徒弟として修業した。マサッチオもフィレンツェに住居を移したのは修業のためだと考えられているが、当時の記録は残っていない。マサッチオの名前が初めてフィレンツェの文書にあらわれるのは1422年1月7日の記録で、すでに一人前の画家として画家ギルド (the Arte de' Medici e Speziali) の一員になってからのことだった[8]。
初期の作品
マサッチオの最初期の作品であると考えられているのは『サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画』(1422年)(en:San Giovenale Triptych)と、『聖アンナと聖母子 (マサッチオ)』(1424年頃、ウフィツィ美術館所蔵) (en:Virgin and Child with Saint Anne (Masaccio)) である。『サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画』は、マサッチオの故郷に近いカッシア・ディ・レッジェッロのサン・ジョヴェナーレ教会で1961年になってから「発見」された。この作品の中央パネルには天使と聖母子、左翼パネルには聖バルトロマイと聖ブラシウス、右翼パネルには聖ジョヴェナーレと聖アントニオスがそれぞれ描かれている。『サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画』の保存状態は悪く、オリジナルの枠組みは失われ、さらに画肌表面は摩耗してしまっている[9]。このような保存状態ではあるものの、マサッチオが深い関心を寄せていた13世紀 - 14世紀のイタリア人画家ジョットが追及した三次元的描画の再現を、ふくよかな人物描写や短縮遠近法から見てとることができる。
マサッチオはフィレンツェでジョットの作品を学ぶ機会があり、建築家フィリッポ・ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロらとの知遇を得た。ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』によれば、マサッチオは1423年にマソリーノとともにローマを訪れて以来、ピサのカルメル修道院の祭壇画に見られるように、それまでの絵画様式であるゴシック様式、ビザンティン様式の影響から解放されたとしている。現存するマサッチオの作品数点に見られる古代ギリシア・ローマ美術からの影響も、おそらくこのときのローマ訪問が契機となっている。マサッチオとマソリーノの共同作品としては、ミケランジェロらのドローイングによって現代に伝わる当時のイタリアの祭り「サグラ」を描いた、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会 (en:Santa Maria del Carmine) のフレスコ画(1422年4月19日)があった。しかしこのフレスコ画は16世紀末に教会の回廊が改築されたときに取り壊されてしまった。
「腕のいい高名な二人組 (duo preciso e noto)」といわれていたマサッチオとマソリーノは、1424年に富裕な権力者フェリーチェ・ブランカッチから、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂のブランカッチ礼拝堂内部に一連のフレスコ装飾画を描く依頼を受けた。特に礼拝堂左右壁面それぞれに上下二段に配置された『聖ペテロ伝』四面の構成は、見かけの素朴さを裏切って巧妙な方法で統合されており、このフレスコ画がマソリーノをはじめとする複数の制作者による作品であることを完全に忘れさせる。
聖人とこの絵画の献納者は骸骨が横たえられた石棺の上に描かれている。骸骨の上の壁面には「過去の私は現在の貴方であり、現在の私は未来の貴方である IO FUI GIA QUEL CHE VOI SIETE E QUEL CH'IO SONO VOI ANCO SARETE」という銘が刻まれている。この骸骨は人間に死をもたらしたアダムを容易に連想させ、この作品を観るものに現世がいかに儚いものであるかを認識させる役割を果たしている。聖三位一体への信仰のみが死を乗り越えられるということを表現した絵画である[20]。
^Roberto Bellucci and Cecilia Frosinini, "Masaccio: Technique in Context," in The Cambridge Companion to Masaccio, ed. Diane Cole Ahl, Cambridge, 2002, pp.105-122.
^"Masus S. Johannis Simonis pictor populi S. Nicholae de Florentia." と記載されている
^Roberto Bellucci and Cecilia Frosinini, "The San Giovenale Altarpiece," in The Panel Paintings of Masolino and Masaccio, ed. Carl Brandon Strehlke, Milan, 2002, pp.69-79; Dillian Gordon, "The Altarpieces of Masaccio," in The Cambridge Companion to Masaccio, ed. Diane Cole Ahl, Cambridge, 2002, pp.124-126.
^Roberto Longhi, "Fatti di Masolino e di Masaccio," Critica d'arte 25-6 (1940) 145-191.
^Umberto Baldini and Ornella Casazza, The Brancacci Chapel, New York, 1990; Diane Cole Ahl, "The Brancacci Chapel," in The Cambridge Companion to Masaccio, ed. Diane Cole Ahl, Cambridge, 2002, 138-157.
^Giorgio Vasari, Le vite de' più eccellenti pittori, scultori ed architettori, ed. Gaetano Milanesi, Florence, 1906, II, p.292.
^Jill Dunkerton and Dillian Gordon, "The Pisa Altarpiece," in The Panel Paintings of Masolino and Masaccio: The Role of Technique, ed. Carl Brandon Strehlke, Milan, 2002, pp.89-109.
^Jill Dunkerton and Dillian Gordon, "The Pisa Altarpiece," in Carl Brandon Strehlke, ed.The Panel Paintings of Masolino and Masaccio: The Role of Technique, Milan, 2002, 91-93.
^Jill Dunkerton et.al., Giotto to Dürer: Early Renaissance Painting in the National Gallery, New Haven, 1991, 248-251.
^Ugo Procacci, "Nuove testimonianze su Masaccio," Commentari, 27 (1976) 233-4; Rona Goffen, Masaccio's "Trinity," Cambridge, 1998; Timothy Verdon, "Masaccio's Trinity," in The Cambridge Companion to Masaccio, ed. Diane Cole Ahl, Cambridge, 2002, 158-160.
^Rita Maria Comanducci, "'L'altare Nostro de la Trinità': Masaccio's Trinity and the Berti Family," The Burlington Magazine, 145 (2003) pp.14-21.
^Alessandro Cortesi, "Una lettura teologica," in La Trinità di Masaccio: il restauro dell'anno duemila, ed. Cristina Danti, Florence, 2002, 49-56; Verdon, 158-161.
^Ursula Schlegel, "Observations on Masaccio's Trinity Fresco in Santa Maria Novella," Art Bulletin, 45 (1963) pp.19-34; Otto von Simson, "Uber die Bedeutung von Masaccios Trinitätfresko in Santa Maria Novella," Jahrbuch der Berliner Museen, 8 (1966) pp.119-159; Rona Goffen, "Masaccio's Trinity and the Letter to the Hebrews," Memorie domenicane, n.s/ 11 (1980) pp.489-504; Alessandro Cortesi, "Una lettura teologica," in La Trinità di Masaccio: il restauro dell'anno duemila, ed. Cristina Danti, Florence, 2002, pp.49-56; Timothy Verdon, "Masaccio's Trinity," in The Cambridge Companion to Masaccio, ed. Diane Cole Ahl, Cambridge, 2002, pp.158-176.