マイティ・モー
マイティ・モー(Mighty Mo、1970年10月8日 - )は、アメリカ合衆国の男性キックボクサー、総合格闘家。サモア系アメリカ人。アメリカ領サモア・パゴパゴ出身。エリートMMAアカデミー所属。元ROAD FC無差別級王者。 「怒濤のサモアン・フック」と呼ばれる。 来歴高校・大学時代はレスリング部に所属[1]。2003年にプロ総合格闘技デビュー。 2004年2月15日、K-1 BURNING 2004 〜沖縄初上陸〜で、曙率いる世界連合軍の1人として初参戦。ワンマッチで堀啓にKO勝ちを収めた。 2004年4月30日、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS 〜世界地区予選A〜でGP初参戦。1回戦でカーター・ウィリアムスに3Rで逆転TKO勝利を収め、注目される存在となった。この大会では準決勝でデューウィー・クーパーに判定負けを喫し、トーナメント出場権を逃した。 同年、8月7日のK-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS II 〜世界最終予選〜では3試合中2試合でKO勝利を収め、GP開幕戦への切符を手にした。 2004年9月25日、GP開幕戦ではゲーリー・グッドリッジに1R KO勝利を収めた。 2004年12月4日のK-1 WORLD GP 2004 FINALでは、準々決勝でガオグライ・ゲーンノラシンに右のジャンピングハイキックを浴び、KO負けを喫した。 2005年4月30日、K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGASではレミー・ボンヤスキーとワンマッチで対戦、2003・2004年とK-1 GPを連覇しているボンヤスキーを相手に不利な展開ながらダウンを奪い判定勝ち。 2005年8月13日、K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS IIでは、フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタにKO勝ちした。しかし、GP開幕戦でピーター・アーツに2R KO負け。 2006年にボクシングデビュー。ボクシングデビュー戦でラマー・ステファンズに0-3の判定負けを喫するも、半年後の2試合目では1R KOで初勝利。3試合目も1RTKO勝ちを果たした。なお、モーのボクシングマッチ参戦はK-1との契約に違反していたが、K-1の谷川貞治プロデューサーが温情をみせたことにより、特に処分は受けなかった。 2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでチェ・ホンマンと対戦。K-1においてダウンしたことのなかったホンマンから2Rにサモアンフックでダウンを奪いKO勝ち。試合直前に交通事故で実弟を亡くしたが、それを感じさせない試合となった。そして1週間後の3月12日、HERO'S 2007 開幕戦 〜名古屋初上陸〜でキム・ミンスと対戦し、同じくサモアンフックでTKO勝ち。 2007年4月28日に、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIにおいてキム・ギョンソック、ヤン・ノルキヤ、アレキサンダー・ピチュクノフを全てサモアンフックでKOし、予選トーナメントで優勝。GP開幕戦への出場権を手に入れた。また、この大会でモーの長男マイティ・モーJrもK-1デビューしたが、KO負け。 2007年6月2日、「Dynamite!! USA」においてウォーパスにTKO勝ち。 2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMにおいて、K-1スーパーヘビー級タイトルマッチでセーム・シュルトと対戦。シュルトの前蹴りとローキックを受け失速しダウン寸前にまで追い込まれた。なんとか耐えたが、結果0-3の判定負け。 2007年8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASにおいて、ステファン・レコと対戦。レコのテクニックに完封され判定負け。 2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16において、チェ・ホンマンと対戦。2Rにホンマンのローキックが下腹部に当たり試合中断と思われたが、レフェリーはダウンと判定。そのまま0-2で3R判定負け。マイティ・モー側は誤審であると異議を申し立てたが、10月4日にK-1競技委員会より発表があり、2Rのダウンは金的付近に当たった不可抗力のアクシデントだったとしてダウンを取り消したが、判定による勝敗には影響がないとした。 2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALのリザーブファイトにて、ポール・スロウィンスキーと対戦。1Rに見せ場を作るも、スロウィンスキーの右ローキックで2RKO負け。 2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAで前田慶次郎と対戦し、判定負け。 2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIの1回戦でジャスティス・スミスに判定勝ち。しかしローブローのダメージにより準決勝を棄権した。 2008年9月23日、DREAM.6でセルゲイ・ハリトーノフと総合格闘技ルールで対戦予定であったが、練習中に負傷(脊柱起立筋断裂)し、欠場となった。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でセーム・シュルトとDREAMルールで対戦し、シュルトをテイクダウンするも下からの三角絞めで一本負けを喫した。 2010年3月22日、DREAM.13で自身のトレーナーでもあるジョシュ・バーネットと対戦。アームロックで1R一本負け。 2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16でアンドレイ・アルロフスキーの代役として急遽ラウル・カティナスと対戦[2]。1Rに右フックでダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた[3]。 2010年12月11日、K-1 WORLD GP 2010 FINALに出場し、1回戦でピーター・アーツと対戦するも、パンチの連打で2度目のダウンを奪われ1RKO負け。 2011年から2012年にかけてハイペースで試合を行うも、アーツ戦からキックボクシングで8連敗を喫した。この期間中の試合は主に、セルゲイ・ハリトーノフに1RKO負け。ベン・エドワーズに2RKO負け。羅王丸に3RKO負け。リック・ルーファスに1-2の僅差の判定負け。ラウル・カティナスとの再戦で3R判定負けなどがある。 Bellator2013年9月21日、Bellator MMA初参戦となったBellator 100で7戦全勝のダン・チャールズ対戦し、3Rにパンチの連打でダウンを奪いパウンドでKO勝ち。約3年ぶりの勝利となった 2013年10月25日、Bellator 105でロン・スパークスと対戦し、1Rにキーロックで一本勝ち。 2014年3月8日、Bellator 111のヘビー級トーナメント1回戦でピーター・グラハムと対戦。ローキックで攻められる場面もあったが、3Rに袈裟固めで一本勝ち。 2014年4月11日、Bellator 116のヘビー級トーナメント準決勝でアレキサンダー・ヴォルコフと対戦し、左ハイキックで1RKO負けを喫した。 ROAD FC2015年12月26日、ROAD FC無差別級トーナメント1回戦でチェ・ムベと再戦し、パウンドでTKO勝ち。2016年4月16日、無差別級トーナメント準決勝でミョン・ヒョンマンと対戦し、ネッククランクで一本勝ち。 2016年9月24日、ROAD FC 033の無差別級トーナメント決勝戦でチェ・ホンマンと対戦し、右フックでKO勝ちを収め優勝。初代ROAD FC無差別級王座に認定された。 2016年12月10日、ROAD FC 035で行われたROAD FC無差別級タイトルマッチでカルロス・トヨタと対戦し、パンチラッシュでKO勝ちを収め初防衛に成功した。 2017年7月15日、ROAD FC 040のROAD FC無差別級タイトルマッチでカン・ドングクと対戦し、パウンドで2RKO勝ちし、2度目の防衛に成功。ROAD FC6連勝となった。 2018年5月12日、ROAD FC047 無差別級トーナメントで復帰したギルバート・アイブルと対戦。序盤からタックルで倒された後、グラウンドで圧倒され腕ひしぎ十字固めで腕を折られ1R一本負け。王座から陥落した。 VBK2019年9月21日、VBK 1: Heavyweight Tournamentのヘビー級トーナメントに出場し、1回戦でヘビー級に階級を上げたソクジュに3RKO勝利するも、2回戦でマーク・ゴッドビアーに1RKO負けを喫した。 エピソード
戦績総合格闘技
キックボクシング
プロボクシング
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
戦績等
Information related to マイティ・モー |