マイク・トムリン

マイケル・ペッタウェイ・トムリン(Mike Tomlin、1972年3月15日 - )はナショナル・フットボール・リーグに所属するピッツバーグ・スティーラーズのプロアメリカンフットボールのヘッドコーチ。2007年にスティーラーズを指揮して以降、チームを11回のプレーオフ、7回の地区王者、3回のAFCチャンピオンズゲーム、2回のスーパーボウルへの進出、そして2008年のスーパーボウル制覇へチームを導いた。36歳でのヘッドコーチとしてのスーパーボウル制覇は当時としては最年少記録である(後にショーン・マクヴェイが2021年に更新)。

彼の指揮下では初年度以降17シーズン連続で勝ち越しており、これはNFL最長。また初年度からでなくともトム・ランドリー(21季連続)とビル・ベリチック(19季連続)に次ぐ3番目の記録。2023年をもってビリチックがニューイングランド・ペイトリオッツより退団したため、現役のヘッドコーチとしては最も長く連続勝ち越しシーズンを過ごしているヘッドコーチ。

若い頃

トムリンはバージニア州ハンプトンに次男として生まれた。兄のエディは3歳半年上である。父のエドトムリンは1960年代にハンプトン大学でフットボールをプレー、ボルティモア・コルツにドラフトされ、その後はカナディアン・フットボール・リーグのモントリオール・アルエッツでプレーした。父はフロリダにて2012年1月に心臓麻痺によって63歳で逝去した。しかしトムリン自身は実父についてはあまり覚えておらず、トムリンが6歳の頃に実母ジュリアと結婚した養父レズリーによって育てられた。

トムリンは1990年にヴァージニア州デンバイ高校を、1995年にウィリアム・アンド・メアリー大学社会学部を卒業した。大学在学中はカッパアルファサイ(フラタニティ)に所属し、またワイドレシーバーとしてヤンキーカンファレンスの優秀選手表彰をされている。

コーチとして

大学フットボール

トムリンのコーチとしてのキャリアは1995年にヴァージニア軍事大学にてワイドレシーバーコーチより始まった。その後はメンフィス大学やテネシー大学、アーカンソー大学、シンシナティー大学で主にWRやDBのコーチとして勤務した。

NFL

ポジションコーチ

トムリンはDBコーチとしてタンパベイ・バッカニアーズに2001年に採用され、Tampa 2といったディフェンス様式を学んだ。

バッカニアーズでは次のヘッドコーチの下でもディフェンシブコーチとして働き、バッカニアーズはNFL内で最も守備の強い(試合毎の与ヤード数がリーグ内にて最小)チームとなった。ディフェンス陣は2005年までの間で6位未満の順位になったことがない。バッカニアーズが2003年のスーパーボウル制覇をしたときもスーパーボウルでの新記録となる5つのインターセプト(うち3つはTDに成功)を達成した。

守備コーディネーター

トムリンはその後バイキングスにて2006年より守備コーディネーターを担当した。

バイキングスの選手のうちの二人はトムリンよりも年上で、ダレンシャーパーはトムリンの大学時代のチームメイトでもあった。結果的にバイキングスの守備は全体8位という評価を受けた。しかしランプレーにおける評価は1位であったのに対し、パスプレーにおける評価は最下位、という非常な結果となった。

ヘッドコーチ

2007年のホーム初戦のビルズ戦を指揮するトムリン

2006年シーズンを終え、トムリンは空席となっていた2005年のスーパーボウル覇者のヘッドコーチのポジションを巡ってピッツバーグ・スティーラーズと面談をした。わずか1年の守備コーディネーターとしての経験しかなかったが、2007年1月27日にビルカウワーに代わる形で第十六代スティーラーズHCに就任した。

トムリンは歴代で10人目のアフリカ系アメリカ人のNFLのコーチとなった。

彼の契約内容については公開はされていないものの、ピッツバーグの地方紙(The Pittsburgh Post-Gazette)によれば4年1000万ドルと追加一年のオプションの契約だったとされる。彼はスティーラーズのHCとしては三人連続となる初戦白星、また初戦を長年のライバルであるクリーブランド・ブラウンズに対して白星をあげた最初のHCである。

スーパーボウルXLIIIでの勝利パレードでのトムリン

マイケル・ペッタウェイ・トムリン(1972年3月15日生)はナショナル・フットボール・リーグに所属するピッツバーグ・スティーラーズのプロアメリカンフットボールのヘッドコーチ。2007年にスティーラーズを指揮して以降、チームを11回のプレーオフ、7回の地区王者、3回のAFCチャンピオンズゲーム、2回のスーパーボウルへの進出、そして2008年のスーパーボウル制覇へチームを導いた。36歳でのヘッドコーチとしてのスーパーボウル制覇は当時としては最年少記録である(後にショーン・マクヴェイが2021年に更新)。

彼の指揮下では初年度以降17シーズン連続で勝ち越しており、これはNFL最長。また初年度からでなくともトム・ランドリー(21季連続)とビル・ベリチック(19季連続)に次ぐ3番目の記録。2023年をもってビリチックがニューイングランドペイトリオッツより退団したため、現役のヘッドコーチとしては最も長く連続勝ち越しシーズンを過ごしているヘッドコーチ。

球団史上六度目となるスーパーボウルXLIIIでの優勝リング
Team Year レギュラーシーズン ポストシーズン
Won Lost Ties Win % Finish Won Lost Win % Result
PIT 2007 10 6 0 .625 1st in AFC North 0 1 .000 Lost to Jacksonville Jaguars in AFC Wild Card Game
PIT 2008 12 4 0 .750 1st in AFC North 3 0 1.000 Super Bowl XLIII champions
PIT 2009 9 7 0 .563 3rd in AFC North
PIT 2010 12 4 0 .750 1st in AFC North 2 1 .667 Lost to Green Bay Packers in Super Bowl XLV
PIT 2011 12 4 0 .750 2nd in AFC North 0 1 .000 Lost to Denver Broncos in AFC Wild Card Game
PIT 2012 8 8 0 .500 3rd in AFC North
PIT 2013 8 8 0 .500 2nd in AFC North
PIT 2014 11 5 0 .688 1st in AFC North 0 1 .000 Lost to Baltimore Ravens in AFC Wild Card Game
PIT 2015 10 6 0 .625 2nd in AFC North 1 1 .500 Lost to Denver Broncos in AFC Divisional Game
PIT 2016 11 5 0 .688 1st in AFC North 2 1 .667 Lost to New England Patriots in AFC Championship Game
PIT 2017 13 3 0 .813 1st in AFC North 0 1 .000 Lost to Jacksonville Jaguars in AFC Divisional Game
PIT 2018 9 6 1 .594 2nd in AFC North
PIT 2019 8 8 0 .500 2nd in AFC North
PIT 2020 12 4 0 .750 1st in AFC North 0 1 .000 Lost to Cleveland Browns in AFC Wild Card Game
PIT 2021 9 7 1 .559 2nd in AFC North 0 1 .000 Lost to Kansas City Chiefs in AFC Wild Card Game
PIT 2022 9 8 0 .529 3rd in AFC North
PIT 2023 10 7 0 .588 3rd in AFC North 0 1 .000 Lost to Buffalo Bills in AFC Wild Card Game
PIT 2024 8 2 0 .800 TBD in AFC North
Total 181 102 2 .639 8 10 .444

人物

  • のちに夫人となるキヤとは大学時代に出会い、3人の子どもとともにSquirrel Hillに住んでいる。
  • キリスト教徒である。